9.レミナヴ温泉(マナス王国中部州ベイウシュ=ナポカ地方)

 

 旅先で美しい風景に出会うことができると、とてもうれしくなる。それが海であれ、森であれ、街であれ、平野であれ。世界は広く、自然は美しいものだ。

 旅をしていて王都イグナスと学芸都市マールを結ぶ街道沿いに、大きな湖がある。風光明媚な景勝地でレミナブ湖という。

 レミナブ湖のほとりには、一帯の領主であるノムラン伯爵の城を中心としたレミナブの城下町がある。
 伝説によれば、この湖には水の精霊姫と呼ばれる精霊の女性がいて、その女性と1人の男性が恋に落ちたという。2人の間の子孫がノムラン伯爵家で、精霊の女性は今もなお湖に住んでいて伯爵家に加護を加えているとか。

 また代々の伯爵家当主も湖を大切にし、その周辺の開発をほとんど許可せず自然環境を守ってきたそうだ。
 その結果、このレミナブ湖は広い湖のまわりに林や草原が広がり、ほとりの唯一の街には美しい尖塔を持つ伯爵城がたたずむという、なんとも美しい景観が広がることになった。

 学芸都市マールでの仕事について、その詳細はここでは書けない。けれど次の目的地は私の家の領地・スタンフォードとなり、マール街道を南下することになった。ここレミナブへと到着したのは雪深い冬のまっただ中だった。
 雪深い内陸部ではあるけれど、レミナブは温泉が湧くせいか、積もるには積もるけれどそこまで雪深くなるわけではない。
 とはいえ、白く染まった山々に、針葉樹の森に囲まれたレミナブ湖は鏡のようで、白く装飾された伯爵城もレミナブの街も実に美しい。息を飲むような美しさとは、まさにこういった景色のことをいうのだろう。

 雪が積もるような地域はどこもそうだが、道は除雪されたとしても、定期馬車の本数は大幅に減っている。そのため私とロナウドは、それぞれ冬装備に身を包んで徒歩で移動をしていた。
 本当は春までマールに滞在していても良かったのだが、雪のレミナブは特別な美しさがあると聞き、それなら行ってみようかとなったわけだ。

 途中に点在している村で宿を取りつつ、雪道を歩く。幸いに天候に恵まれて吹雪に見舞われることもなかった。雪が積もったせいで街道と畑との境目がなくなり、目印となるのは雪原から突き出た行き先表示の看板だけ。けれど、雪の世界を旅することは初めてだったので実に楽しかった。

 さてレミナブに入り、まずは街の衛兵に教えてもらった宿に向かうことに。不思議と街の通りは雪が溶けて石畳が見えているけれど、中央の広場にある大きな噴水は凍りついたままだった。
 目指す宿はこの広場に面した小さな宿で、「ホルナート」という。この地方特有の楽器から名前をとったらしい。

 総客室数は12だけれど、今の時期は空いていて、私たちの他には長期滞在のお客が2組あるだけだった。
 受付の女の子が、「こんな時期に旅なんて。……寒かったでしょう」と言いながら温かいミルクティーをサービスしてくれた。そして、部屋の準備が整うまで温まっていてくださいと、食堂の大きな暖炉の前に案内してくれた。

 ポカポカと心地よい温かさに、冷えた身体がじんわりと暖まっていく。暖炉の上にはレミナブ湖を描いた大きな油絵が飾られており、その周囲の壁にも大小様々な油絵が掛けられていた。
 四季折々のレミナブ湖の光景。アングルも様々で見ていて飽きない。そうやって過ごしていると、部屋の準備ができたそうなのでお礼を言ってから部屋に向かった。

 すでに部屋にもストーブが点けられていて温かくなっていた。広さは一般的なツインの部屋の大きさ。2つ並んだベッドには毛布カバーの下にふかふかの掛け布団があった。おそらくは羽毛布団で、快適に眠れそうだ。
 部屋の準備のお礼を言うと、女の子が教えてくれた。実は床下にパイプが通っていて、組み上げた温泉を流しているらしく、そのお陰で客室も廊下も暖かくなっているらしい。
 なるほど。これも温泉地の知恵なのだろう。

 ちなみに大浴場は昼前が掃除の時間なので入浴できないそうだけれど、それ以外の時間にはいつでも入ることができるとのこと。中には夕方に入って、夜に入って、朝に入るというお客さんもいますよと笑いながら教えてくれた。
 まさに温泉三昧。それも温泉の楽しみ方の一つとして良いかもしれない。……あ~、でもそれだと、ロナウドと時間を合わせるのが大変か。う~ん。家族風呂だったら何度も入るのもありなんだけどね。

 とはいえお風呂に入るには時間が早い。かといって、ロナウドがやりたいと言っていたレミナブ湖での釣りをするほどの時間もない。それならばということで買い物に出かけることにした。

 雪に包まれたレミナブの街を歩く。道の脇には屋根から落ちてきた雪がこんもりと積もっていて、太陽の光を浴びてキラキラと光っているようにも見える。
 おとぎ話に冬の女王というのがあるけれど、まるでその世界に入り込んだような気持ちになる。

「滑りそうだから気をつけろよ」というロナウドだったけれど、その直後に本人が滑って転びそうになっていた。
 クスクスと笑いながら「ホントね」と言うと、苦笑いを浮かべて「だろ?」
「その靴、そろそろ替え時かしらね」
 裏の凸凹がすり減ってきているのはわかっている。このままマール街道を南下すれば王都イグナスに到着する。できればそれまで保ってほしい。どうせ買うのならば丈夫で長く使えるものがよいのだから。

「まだ大丈夫だろ」
 そうした事情は、当然のことながらロナウドもわかっている。……そうだね。それでも繋ぎとして当面履ける靴があれば買っておいた方がよさそう。
 1人そう判断して、ロナウドと手を繋いだ。

 広場が街の中心地らしく、また観光に来る人々も多いようで、いくつもの商店が店を並べている。
 編み物のお店、魚料理のお店、置物やガラス製品を置いている雑貨のお店。気になるお店を順番にめぐっていくと、「リオネル」という化粧品のお店があった。
 中に入ると店内にハーブの香りがふわりとただよっていた。壁には商品棚、フロアにも小さな円形テーブルが幾つかあって、石けんや化粧水に混じってポプリの入った|サシェ《匂い袋》が綺麗に並んでいた。
 なかなかセンスが良い。ハーブから精油を抽出したオイルなんてものもあって、種類毎に瓶に詰められていた。テスターがあったので、1つ1つ香りを楽しみながら幾つかを選び取った。

 ほかに目についたのが化粧水だ。店員の女の子によると、ここの温泉は肌のくすみを取り透明感のある肌にしてくれる、女性にうれしい美肌の湯だという。保湿効果もあって、その温泉水を利用した化粧水だという。
 乾燥肌用、敏感肌用、オイリー肌用、混合肌用と、どうやら開発した人には肌に並々ならぬ情熱があったようで、お肌の特性に合わせて4つもの種類がある。利用する方にとってはうれしいけどね。

「男性用もあるんですよ」と女の子がロナウドに声を掛けた。
 こういう化粧品の店には不慣れなロナウドは、困ったように頭を掻きながら、「い、いや。俺は別に……」などと口ごもっている。

 男性ですものね。こういう店は緊張するだろうな。
 そう思いながら見ていると、助けを求めるようにこっちを見た。ニコリと微笑んで、「じゃあ、試しに1本買ってみようか。やり方は教えてあげるからさ」と言った途端、「い、えー!」と言うロナウド。
 まあまあ、彼には必要なさそうだからいいでしょう。

 さて、思わぬ素敵なお店に出逢えるとうれしくなる。いい買い物もできたところで、宿に戻ることにした。

 部屋に荷物を置いて、夕食の前にお風呂に行くことにした。着替えを持って大浴場に向う。案内看板にしたがって廊下を進むと、突き当たりが大浴場の入り口だった。
「じゃ、また後でね」とロナウドを別れ、女性用とあるドアをくぐると、目の前には地下に降りていく階段が。

 へえ。地下に大浴場とは思い切った造りだと思う。面白い。こういう面白い宿に出会うのも楽しいところだ。

 そんなことを思いながら階段を降りていくと、そこは脱衣場になっていた。地下だからだろうか、廊下よりも暖かい。
 1人の従業員の女の子がいて、「ここで靴をお脱ぎ下さい」という。確かに脱衣場には草を乾燥させて細かく編み込んだようなタイルが敷き詰めてあって、靴を履いたままではいけない。脱いだ靴は女の子が預かってくれるらしく9番の番号札を渡された。

 この番号は脱衣場の棚についている番号とも連動しているらしい。さっそく9番の札のついた棚へ行き、手荷物を置いた。棚の様子から見ると先客が1人いるようだ。ところどころベンチが置いてあって、どうやら湯上がりにゆっくりすることもできそう。これで冷たい飲み物があれば良さそうだ。
 ともあれ服を脱いで、タオルを手に湯場へと向かう。

 扉の向こうは洞窟風呂だった。
 床こそ平らになっているけれど、これはこれで雰囲気がある。ところどころに魔道具のランプが置いてあって、暖かい光が洞窟の壁を照らしているところなど、自分がまるでドワーフにでもなったような気分になる。

 さらさらを湯船にお湯が流れていく音が反響している。タオルなどを棚に置いてから浴槽のそばに行き、桶で身体にお湯を掛け流してから湯船へと入った。
 少し熱めのお湯が気持ちよい。出かけているときには気にならなかったけれど、やっぱりそれなりに冷えていたのだろう。じんわりと体の芯へと熱が染みこんでいくような心地よさに、ほうっと息をつく。

 薄暗いお風呂の中で、お湯の中の手足がいつもよりも白く見える。手のひらをざばっとお湯から出して見つめていると、奥の方からぽつりと声が聞こえた。
「――聖女」

 その言葉に反射的に振り向いた。聖女の神託があったことは確かだけれど、私はその神託にもとずいた聖女就任を断っている。そのことは一部の人しか知らないはずだ。いったい誰が……。

 湯船の奥にいたのは、漆黒の髪に白い肌をした美しい女性だった。

「あなたは……」
 どこかで見たような気がする。さて――、あ。
「アナスタシア。魔王アキラの四天王の一人?」
 一度だけ会ったことがある。確か吸血鬼の女王だったはずだけど、今は威厳が全く感じられない。いえま、大浴場ですからね。ここは。

「仕事はお休みなのですか?」
 四天王がどんな仕事をしているのかしらないけれど、休暇なのだろうか。
「クク、ククククク。――きっとアキラは今ごろ私の書き置きを見て焦ってる頃」
「そ、そう。なんて書いたのか知りたい気も」
「探さないで下さい。そう書いた」

 ちょっと家出! 家出なの? 四天王なのに……。

「だから聖女も、ここで私と会ったことは秘密」
「わかったわ。でも、ロナウドには言ってもいいかしら」
「夫婦間で内緒ごとはよくない。仕方ない。了承する」

 まあ家出しちゃったものは今さらどうにもならないよね。
 それにしても家出って。本当に四天王は何をしでかすかわからない。フリージアの気苦労が察せられる。アキラも苦労人ね。私にとっては他人事だから、どうでもいいけど。

 それにしても、と思いながらアナスタシアを見る。20代半ばの美女なんだけれど。吸血鬼らしく私よりも色白なんですけど。……なぜか残念な雰囲気が漂っている。ま、これも彼女の魅力だろう。残念美人の吸血女王さん。
 こうして温泉で再会したのも何かの縁。少しおしゃべりでもと思ったけれど、どうやら口数が多いタイプではないよう。むしろ妄想に浸っているタイプと見た。実に残念。

 湯船から時折、ククククと笑い声が聞こえてくるのを聞こえていない振りをして、身体を洗ったりまた湯船に入ったりする。
「じゃ、またね」と声を掛けて、先に失礼することにした。

 脱衣場で女の子に、もしかしたら中の人がのぼせているかもと伝え、ささっと体を拭いて服を着て先に退散させてもらった。
 女の子は確認に湯場へと行ったようだ。「お、お客さん!」と声が聞こえた気がするけれど、アナスタシアは大丈夫だろうか。吸血鬼だから溺れ死ぬことはないはずだから、その点では安心できるんだけれどね。(作者註:この世界の吸血鬼は流れ水も平気)

 さて階段をのぼると案の定、すでにロナウドはお風呂から上がっていてベンチで1人のんびり体を伸ばしていた。
「ごめんね。ちょっとした再会があったもんだから」といい、アナスタシアがいたことを伝えると「えっと誰だっけ」と言われた。一度しか会ってないし、影も薄そうだから覚えていないのも仕方がないと思う。

 旅先で出会うとうれしいものがもう一つあった。
 しばらく会うことがなかった人と再会すること。思わぬところで思わぬ人と出会えると、世界って広くて狭いなと思ったり。
 縁とは実に不思議なものだ。これもレミナブ温泉の思い出として大切にしたいと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です