17.アルビニ温泉(ローラン王国)

 海面よりわずか1メートルほどの高さにある豪快露天風呂。この湯に浸かると、広大な海にぷかりと浮いているような錯覚をする。

 ローラン王国の港町アルビニ温泉は、そんな海望露天風呂が有名である。

 私たちがローラン王国港町アルビニに戻ってきたのは初冬の頃だった。マナス王国ほど寒くなることがない温暖な地方ではあるけれど、それでも肌寒い風が吹く。

 不在時の自宅の管理をお願いしていた孤児院のシスターに、お礼を言いがてらお土産を渡しに行った。

 ここでは、赤ちゃんから上は17歳までの子どもたち、30人あまりが暮らしている。まとめているのは初老のシスターとそのお手伝いをしている2人の若いシスターで、慢性的に人手不足となっている。

 そのため冒険者ギルドに低報酬ではあるけれど、時おり手伝いの依頼が出されていて、冒険者成り立ての初心冒険者が受けたりしていた。私も、最初はそれで孤児院に来たわけなんだけれど、やっぱり大変そうで。……まあ、子どもが嫌いなわけじゃないので、孤児院からの依頼が残っているような時は極力引き受けるようにしていた。

 とまあ、孤児院と私の関係はこのくらいで、折角なので孤児院のみんなを連れて温泉にやってきたわけだ。

 ちなみに男風呂の引率はロナウドと一番年上の男の子がやっているけれど、7歳以下の男の子は女風呂に連れてきている。シスターたちも偶には温泉でゆっくり……と言いたいところだけど、子どもたちがいるからせわしなさそうだ。

 小さい子供たちを一通り洗い終えたころには、すでに浴槽も賑やかなことになっている。とはいえ、男の子のように暴れたりすることはなくて、おしゃべりや精々が水鉄砲になっているところが女の子らしい。

 苦笑しながら、シスター達と一緒に私も湯船に向かった。

 海面に近いこともあって、海がよく見える。沖には四角い枠みたいなのがいくつか浮かんでいるのが見えた。あれは海の畑と言って、牡蠣や海苔の養殖場になっている。

 すでに漁の時間は朝方に終わっていて、しかも今は風のないなぎの時間ということもあり、漁船の姿は1つもない。そのせいか、海がより広く見える気がした。

 ここのお湯は無色透明だけど塩分があるようで少ししょっぱい。けれど身体が良く温まり、切り傷などに効果がある。長くぽかぽかしているはずだから、今日は子供たちもよく眠れることだろう。

「ねぇねぇ。お姉ちゃん。前にお客さんが来ていたよ」

 6歳くらいの女の子が私のところにやって来て、教えてくれた。

「お客さん?」と尋ね返すと、私と同い年のシスターが、

「半年くらい前ですね。20歳前くらいの男性と女性の夫婦のようでした。名前はたしかアキラとフリージアさんといったかと」

 それって魔王とフリージアだよね。ローラン王国は、マナス王国と違って魔王の支配下にないからわからなかったのだろう。それにお伴もつけずに来ていたわけで……、まさか魔王が来るとは思ってもいなかっただろうし、今さら教えることもないだろう。

「何か用事があるようでしたけど、不在と伝えるとあきらめたようです。その後、子どもたちと遊んでくれて……」「罰ゲームがおもしろかったんだ」

 途中から女の子が、そんなことを言う。「罰ゲーム?」

「うん。アキラお兄ちゃんが一番ビリでね。罰ゲーム。凄く風が強くて、ここのお風呂もがんがん海の水が入って来ているところに入るって罰ゲーム」

 何をやっているのだろうか、魔王陛下アキラくんは。

「びゅうびゅう風が吹いてて、寒そうに男風呂に入ってね。そこへ高波がザパァーッて」

「見てたの?」

「うん。だって罰ゲームだもん!」

 そう言ってクシシシと笑う女の子。

 子供たちの前で裸になって1人で浴槽に入ったらしいが、頭から高波を浴び、もはや温泉ではなく海水に水没しているような状態だったとか。そもそもそんなに波が強い日はお湯を止めているはずで……。

 もう一度言おう。何をやっているのだろうか、魔王陛下は。

 フリージアも止めなかったところを見ると、むしろ彼女はその時に夫である魔王をけしかけたのかもしれない。随分と令嬢然としていた彼女だけれど、魔王の側近にだいぶ感化されてきているのだろう。

 それは良い傾向といえばいいのかわからないけど、楽しそうならそれでいいのか……。年下の男の子だからという理由で、魔王を心の中でアキラとかアキラくんと呼んでいる私にはどうこういえる資格はないし。

 そんなことを思いつつも、ただ訪問してきた理由が少し気になった。冒険者ギルドには何か伝言を残しているかもしれないので、明日は、さっそく受付のマリナに尋ねてみることにしよう。

 何となく学園都市マールで受けた依頼とも、2人の訪問に関わっているような気がした。海を見る。もしかしたら、この海の同じように世界の見えないところで何かが動き出しているのかもしれない。単なる勘だけれど、こういう虫の知らせは後々大事に至る場合があるから、きちんと確認すべきだろう。

 少し不安な気持ちに物思いに耽るけれど、不意に壁向こうの男風呂から元気な子供たちの声が聞こえてきて我に返る。今は明るい子供たちの声に何故かホッとした。

◇◇◇◇

 孤児院の子供たちと別れ、今日は自宅ではなく外で食べることにした。

 行き先はもちろん行きつけの食堂「ガンツ」。ここは親父さんの名前を店の名前にしたそうだ。まだまだ元気な40代くらいの親父さんで、奥さんと13歳の娘さんとでやっているこぢんまりしたお店だ。

 漁で使うようなガラスのブイが店先に吊され、夜道を照らすように温かいランプの光が灯っている。

 中からは既に飲んでいるお客さんの賑やかな声。おそらく依頼を終えた冒険者が今日も飲んでいるのだろう。

「お久しぶり」と言いつつ中に入ると、娘さんが「あ! セシルさん、お帰りなさい」と言ってくれた。先に飲んでいたのは顔見知りの冒険者のパーティーで、口々に久しぶりだなとか、元気だったかとか声を掛けられながら、壁際のテーブル席に着いた。

 とりあえずビールを注文し、冒険者と何をしていたのかなど土産話をし、あわせて最近のニュースを聞いてみた。

 魔物の発生には異常は無い。物価も変動はないけれど今年は小麦が豊作だそうで、値段が崩れ気味だとか。相変わらずマリナは独身のままでぼやいているそうで、ギルマスは野球に賭けていて娘のマリナから折檻をくらっているとか。

 気になったのは、半年よりも少し前くらいに、ここから東の大森林で地震があったらしいことか。

 さて運ばれてきたのは、アルビニ特産の魚介類をつかった料理の数々だ。牡蠣のハーブオイル焼きアヒージョに、赤鯛とアサリのアクアパッツァ、サーモンのマリネに、大海老の濃厚スープ。

 アルビニに帰還したばかりとあって、他の冒険者からビールをおごられ、またビールをおごる。途中から親父さんもキッチンから出てきて一緒になって飲んだり、ギルドの仕事上がりのマリナが乱入してきたりと楽しい時間を過ごす。

 気心の知れた仲間たち。1年以上も不在だったけれど、いざこうして帰ってみると離れていた時間を感じさせない、そんな温かい仲間たち。もうアルビニの町は私の第2の故郷になっているのだ。

 さっきから笑ってばかりのロナウドを見る。顔が赤らんでだいぶ酔っているようだけれど、それは私も同じだろう。明日は二日酔い確定。でも、今日くらいはそれもいい。

 賑やかな店内の雰囲気に浸りながら、私はそう思った。