14.スタンフォード(マナス王国東部州州都)

 

 人にとって故郷とは特別な場所だ。たとえどんなに権力のある人であっても、資産のある商人であっても、世界を股にかける冒険者であってもその思いは同じだと思う。

 それなりに世界を旅してきたという自負はある。それに私自身は、海向こうにあるローラン王国での暮らしにも慣れて、すっかりローランの人になってしまった。

 けれども乗合馬車がスタンフォード領に入った途端、風に運ばれてきた木々や土の匂い、そして肌に触れる空気、目に映る風景そのすべてが、私に〝おかえり〟と言ってくれているような気がした。

 そして思う、故郷っていいなと。

 セグナルから北に7日間。乗合馬車での移動は日数がずれることも多いけれど、どうやら予定通りに今日、東部州の州都スタンフォードに到着する見込みだ。

 馬車に揺られながら外の景色を眺めていると、そっとロナウドが私の手の上に自らの手を重ねてきた。彼を見ると、ただ黙って優しげな目で私を見ている。――どうやら、いつのまに私は意味もなく微笑んでいたらしい。

 季節はまだまだ暑い時期だ。木々の上にひろがる濃い青空に白い雲が浮かび、ゆったりとした丘陵を一本の街道が続いている。スタンフォードの街まで、あともう少し。

「そういえば、私、まだロナウドの故郷に行ったことがない」

「ああ……、あそこは行くのがちょっと大変だからな……」

 彼の故郷セルミールは大森林の中層域にある。大森林とはローラン王国東側に広がる前人未踏のまさしく大森林地帯で、浅いところならまだしも中層より先は危険な魔物が多数生息しているところだ。

 セルミールは深層域よりの中層域にあるエルフの里らしく……、実はここでは書くことができないとある秘密がその里にはある。

 ロナウドは子どもの頃に両親を亡くし、たまたまセルミールを訪れた剣聖オルドレイクに弟子入りして里を出たそうだ。それからも、オルドレイクとベアトリクスと3人で何度か故郷に戻ったことがあるらしいけれど、私と冒険者活動するようになってからはまだ行ったことがない。

「そろそろ結婚した報告もした方がいいんじゃ……」

「確かに。今度ローランに戻ったら、そのまま行ってみるか」

 ご両親の御墓があるのならお参りしたいし、育ての親となってくれたというエルフの女性にも挨拶をしたい。それに何より、ロナウドが育ったという里をこの目で見てみたいと思う。

 丘陵地帯から平野に入ったところにあるスタンフォードの街は、針葉樹の森ファーラムを背にした美しい街だ。

 王都イグナスに比べれば夏はそこまで暑くないけれど、逆に冬は寒さが厳しく雪が降る。高原都市でもあるといえるだろうか。

 人口は約10万人。石造りの建物は雪が積もらないように、どこも三角の屋根をしている。まるで絵本の中に出てくるような町並みだと思う。

 街の外からも見える大きな尖塔は、教会のものだ。その教会の裏に公園があって、その公園に隣接してスタンフォード家の敷地がある。より厳密に言えば、スタンフォード家の敷地の一部を公園として住民に開放しているというわけ。

 私たちを乗せた乗合馬車は何事も無く街に到着した。さっそく馬車から降りた私は、ロナウドと連れ添って大通りを歩いた。

 石畳の大通り。ところどころにある小広場には広葉樹が植えられ、青空に向かってその枝と葉を伸ばしている。木の影は人々の憩いの場になっていて、置いてあるベンチには年配の老人が座って本を読んでいた。

 その穏やかで平和な光景に微笑むとともに、これも父の治政がうまくいっているからだと思うと、少し誇らしいな気分にもなる。貴族的な目線だけれど、町角の風景を見ればそこの政治がうまくっているのかがわかる。そういうものだ。

 大通りは街の中央の大広場に繋がっている。商業が盛んな街ではないけれど、その大広場には、いつもそれなりの数の人々が行き交っていて、何箇所かにワゴンを利用した果物屋や軽食屋さんなどが出ている。私がここを出た時と変わらぬ光景がそこにはある。

 里帰りをした今、こうして故郷の街を見ると、小さい頃はお転婆だったこともあって多くの思い出が浮かんでくる。あの頃の世界は広かった。たくさんの冒険が街のあちこちにあった。それが懐かしい。

 スタンフォードの屋敷は築200年の古い造りをした建物だ。なんでも、それ以前は戦乱の時代だったそうで、東の山にある古城を本拠地としていたらしい。平和な時代になってから、より交通の便の良い当地に来て、今の街ができあがったという。

 屋敷に到着した時のもろもろは防犯上の意味もあるので、ここでは省略する。決してお父さんが慌てて飛び出してきたからではない。ましてや母がその父のお尻を蹴っ飛ばしたせいでもない。王国の元宰相で、領主でもある父の家庭的な姿をここで書くのは控えておきたいのはその通りだ。

 この屋敷では他にも弟スチュアートの妻だったローラと、その長男ネヴィルも一緒に暮らしている。気がつかないうちに親戚の子どもが大きくなっていた、なんてことは里帰りあるあるだと思うが、7歳になるネヴィルもちょっと見ないうちに大きくなっていて驚いた。眼差しが弟そっくりで面白い。ライラの騒動の時に死んでしまった弟が戻ってきたような気がしてしまう。

 もっともローラに言わせれば、ネヴィルは母や私にも似ているらしい。血が繋がっているからそれもそうだろう。

 まずは学園都市マールで預かった書状を父に渡して、長かった依頼を完了する。それから旅のあれこれを話したりしたが、特に温泉巡りということに女性陣は興味津々のようだ。

 ネヴィルはあちこちの風景や食べ物などに興味があるようで、うらやましそうに聞いていた。そして、ロナウドの剣を持たせて欲しいと言いだした。

 やっぱり男の子だなと思って見ていると、ロナウドが鞘に納めたままの剣をネヴィルに持たせたが、重たすぎたようでふらついていてハラハラしてしまった。

 それが終わると客室に通されて、夕食前にお風呂に入れるように用意してくれるとか。準備ができたところで仲が良かった侍女に案内されて、お風呂場に向かう。

 我が家のお風呂は、石を四角く切り出して敷き詰めた床に、大理石の洗い場、そして天然の石を同じく切り出した湯船になっている。床石は滑りどめとして表面がざらついていて、それが天然の石っぽくてよい。

 私がお風呂場に行くとすでに母とローラが湯船にいた。私もすぐに身体をさっとお湯で流してから湯船に入る。

 スタンフォードの温泉は不思議な湯質をしている。湯船に浸かると妙にヌルヌルするのだけれど、お湯から上がると肌がさっぱりしている。例えていえばローションのようなお風呂と言えるだろうか。

 さっそく足や腕がぬるついてきて、来た来たとほくそ笑む。

 母が、

「どう? 久しぶりの我が家のお風呂は」

「すごいヌルヌル。これが良いんだよね」

「これの良さがわかるとは、随分と温泉マスターになったわねぇ。うちの娘は」

 そういってカラカラ笑う母。思えば私が国外追放になったときも、自分の持つ伝手を使って無事に出国できるように手配をしてくれていた。ベアトリクスとはまた違った意味で、私の憧れでもある。こんな人になりたいと思うものの、少しは近づけているだろうか。

「でもまあ……。セシリア」

「う? うん」

「いくつになっても親は親、子は子なんだから、いつでも帰っていらっしゃい」

 そう言ってくれる母の言葉がうれしかった。いくつになっても親は親、子は子、か……。たしかに父と母にとって、私は心配に見えるかもしれない。

 きっと親は親というだけで、子どもの心配をするものなのだろう。けれど、そんな心配してくれている父と母を見て、子どもとしては確かな愛情を感じるものでもある。

 スタンフォードに帰ってきてよかった。素直にそう思う私だった。