19.セルミール(大森林中層域)

 コランを出発して、すっかり雪が積もっている森を進む。

 まだ誰も足を踏み入れていないような雪。マナス王国中部州のレミナブ温泉に向かう時もそうだったけれど、こういう雪は時おり落とし穴にまったように腰まで雪に沈むことがある。

 そこで自らの余乗魔力を固めたマギ・スフィア魔力球を平らに変形させて、自分たちの靴の裏に貼り付けた。その表面で体重を分散させて、かつ滑らないように幾つものツメを出させている。

 大森林を奥へ進むにつれて木々のサイズが大きくなる。そして遭遇する魔物も増えてきた。

 大型のサルの魔物、大雪鹿、スノー・タイガーにトレント。こんな冬のまっただ中だというのに、一定以上の強さの魔物にとっては寒さも雪も平気なようだ。

 一番厄介なのはサルの魔物で、なにしろこっちはロナウドと2人しかいないというのに、群れで来られては面倒な事この上ない。幸いに、ここのところ使わずに溜まる一方だったマギ・スフィアを多めに展開して攻撃を補助し、対処することができている。

「そろそろ中層だな」

 ロナウドがそう言って立ち止まる。中層の入り口までいけば安全に村まで行く方法があるという話だった。その方法は想像もつかないけれど……。

 周囲を警戒しながら、ロナウドが何をするのか見守っていると、彼は1つの石柱を見つけた。「ああ、あれだ」と言いながら、石柱の前でおもむろに右手を前にかかげている。

「俺はロナウド。――セルミールを守護せし森の精霊よ。呼びかけに応えたまえ」

 それは精霊への語りかけだった。魔法が使えないはずの彼の言葉に、かかげた右手の指輪がキラリと光り輝いた。

 少しすると、目の前の地面に変化が現れた。雪の中から蔓がニョキニョキと生えてきたのだ。何本もの蔓がやがて人の形になっていくのを見て、そうか、これが森の精霊ドライアドかと思う。

 大人の女性の姿になったドライアドが、ロナウドを見て、

「たしかにお主はロナウドじゃな。そちらのは知らんが……。この時期にセルミールに帰ってくるのは、これも天の配剤というやつかもしれんな」

と言った。

 ロナウドが戸惑ったように、「天の配剤?」と尋ね返したが、ドライアドはそれには応えず向こうをむいた。

「開け。森の回廊よ」

 すぐに正面の空間に円形の揺らぎが生じた。大きさは人が1人通れるくらいで、その向こうにある森がユラユラと歪んで見える。

 ロナウドがドライアドに感謝して、重ねて「天の配剤」とはなんのことかと尋ねていたが、ドライアドは「村で聞くが良い」の一点張り。

 結局ロナウドと私は、ドライアドに礼を言ってその揺らぎの中へ歩を進めたのだった。

 それは一種の特別なトンネルとでも言えばいいだろうか。トンネルの壁は透明で揺らいでいて、その向こうの景色が見える。

 ほんの4、5歩あるいただけで、先ほどの位置から100メートルほども進む。ロナウドが言うには〝精霊の道〟と言うらしく、普段よりも進むのが早く、また魔物にも気がつかれないし襲われない一種の別空間となっているとのこと。

 そんな不思議な精霊の道を進むと、どんどん周囲の景色が流れていく。長い毛を生やして、湾曲した大きな牙がある体高10メートルほどのゾウの魔物、――マンモスというらしい、の群れや、腕が4本もある強そうな猿の魔物など、初めて見る魔物も見ることができた。

 しかしまあ、こんな魔境とも言うべき場所に、よくもまあ集落を造ることができたものだと思わずにはいられない。

 本来ならば中層の入り口から徒歩で7日かかる距離を、精霊の道のお陰で半日で踏破することができた。セルミールの周囲は強固な結界魔法で閉じられていたが、精霊の道はその結界をもすり抜けて、無事に結界を通り抜けたところで出口となった。

 エルフの集落だけあって、周囲と同じように木々がずっと奥まで林立しているようだ。

 すぐに私たちに気がついた男女ペアのエルフがやってきて、ロナウドと挨拶を交わしている。見た目では20歳くらいに見えるけれど、その雰囲気からかなり歳を重ねた人たちのようだ。おそらく交代で警備役などを勤めているのだろう。

 ロナウドが結婚したと聞いて驚いている彼らに、私も挨拶をし、彼らの先導で集落へと連れて行ってもらった。

 集落の中心地に近づくにつれ木々の間隔が広くなり、エルフたちの姿が見えるようになった。彼らの家は、特に太い木を選んでその幹を削った家だったり、その幹の枝のところに張り出して造られてあるようだ。

 突然、「ロナウド!」と大きな女性の声が聞こえて、1人のエルフが駆けてきた。そのままロナウドに飛びついて、「お帰り!」と言っている。ロナウドがその背中をポンポンと叩いた。

「ただいま。――母さん」

 あの人がロナウドの育ての親か。覚悟はしていたが、いざとなると挨拶をどうやってしようか迷う。「ちょっと見ないうちに、すっかり大きくなったわねぇ。人間族は本当に成長が早い……」という彼女が、後ろに控えている私を見て「もしかして……」というやロナウドから離れた。

「お嫁さん?」

「そう。名前はセシル」

 ロナウドのお母さんは、「あらあら、まあまあ」と言いながら私のところにやってきて、

「初めまして。ロナウドの育ての母親のシルフェルリア・エスピアーナ。ルフェルと呼んでちょうだい」

「こちらこそ初めまして。ロナウドと結婚しましたセシルです」

 そう挨拶をした瞬間、にまーと笑みを浮かべたルフェルさんが、私に抱きついてきた。「んもう! こんな可愛いお嫁さんをもらうなんて」

 それから集落の長老や、集まってきていたエルフたちに挨拶を済ませ、さっそくロナウドの実の両親が葬られたというお墓にやって来た。

 何の変哲もない村の一角に、木が1本立っている。エルフの風習か、遺体を埋めたらそこに木を植えるのだそうだ。

 その木の前にロナウドと並んで膝をつき、初めましてと心の中で挨拶をし祈りを捧げた。ロナウドの親は、父がエルフでミスルーク・ラシュテノルといい、母がアルトルアン。父親とさっきのルフェルさんは兄妹だそうだ。

 母親はエルフ風の名前だけれど、昔からここの集落に住んでいる唯一の人間の一族らしい。もっとも母親とロナウドが最後の2人だったそうだけれど。

 それぞれルーク、アルトと呼び合っていた仲の良い夫婦。普通ならロナウドはハーフエルフになるけれど、不思議とこの人間の一族とエルフが結婚しても、その子どもは必ず人間が生まれるのだそうだ。

 そのままじっと頭を垂れながら、ロナウドが祈り終えたのを確認してから、自分も顔を上げた。懐かしげな、それでいて少しすっきりしたようなロナウドの顔を見て、ここに来て良かったと思う。

 ルフェルさんの家は木の幹を彫って造られた家だった。彼女の家に滞在することになった私たちがその家に着くと、そこで彼女の子どものエルフの男性、ロナウドの義理の兄にして従兄弟になる、ルトゥル・ニルフェレスさんと出会った。

 リビングに通されてお茶を飲みながら、今までロナウドがオルドレイクに弟子入りしてからどんな旅を続けてきたのか、私と結婚するに至った経緯など、根掘り葉掘り尋ねられてあらかた話すことになった。同時に昔のロナウドの様子なんかを聞いてほほ笑ましくなったりして。

 気がつくと時間はすでに夕刻。ルフェルさんが今日はゆっくりしてと言って、夕食の準備を始めた。手伝いを申し出たけれど、いいから2人でお風呂に行っておいでと言われる。ありがたく思いながら、部屋に荷物を置いてそのままお風呂場に向かった。

 ロナウドの実家は巨木の幹を彫って造られた家だ。こんな家は初めてなので、気分が高揚している。

 お風呂場も当然、天井から壁、床、浴槽と木になっていて温かみがある。奥の浴槽のそばに窓があるが曇っていた。

 家族のお風呂なのでそこまで広くはないけれど、ここ、実は地中から温泉を引っ張ってきてあるらしい。そういえば家の外、木の幹をパイプがっていたが、あれがそうなのだろう。冷泉といって温度が低い温泉なので魔道具で適温に調整しているとか。

 さっそく体を流してから湯船に浸かる。爽やかな木の香りがして、微かに白く濁った微発砲のお湯。もしかしたら樹液が少し混ぜてあるのかもしれない。

 余分な油質と汚れを流してくれるようで、指で肌をさするとキュッキュッとしていた。ロナウドが説明してくれたところによると、ここの温泉は切り傷にも打ち身にもよく、お腹の調子も整えてくれるらしい。

「大森林のど真ん中だから、きっと自然のエネルギーが籠もってるんじゃないか」

「ふふふ。そうかもね」

 窓を指先で拭うと、外には集落内の木々が見えた。大森林のど真ん中の温泉。普通の人は来られない秘境に、今滞在していると思うと不思議な感慨があった。

 お風呂から上がって台所に行くと、すでに食事の準備ができていた。木の芽とナッツのサラダに、炙った鳥肉にはタレが用意され、その横にはポタージュスープ等々とバランスが良い食事だ。

 全員そろったところでエルフィン・ワインで乾杯してから、さっそく料理に手をのばした。一つ一つを食べながら、その味付けをルフェルさんに教わる。ロナウドの実家の料理、その家の味付けを私も知りたいから……。

 親から子へ伝えられるもの。それは料理であったり、縫い物であったり、教えであったり、物品であったりする。

 私もここに滞在している間にルフェルさんから色々と教わりたい。そして将来、子どもが生まれた時に、その子にも伝えていきたいと思う。

 これは決して義務感からではない。その家の歴史や伝統に自分が加わること、そして子どもに教えている自分の姿の幻想が脳裏に浮かび、幸せを感じるのだ。

 エルフは親子でも名前で呼びあう風習らしい。けれど……。

 ニコニコしているルフェルさんを見て、心の中で「お義母さん」と呼んでみる私だった。