復讐もの 3 無能追放系

 剣の聖地ソルクレイド。
 険しいネルヴィル山脈の奥地にある特別な里の名前である。

 その集落には3つの使命があった。
 1つはさらに奥地にある封印の森の守護。2つにはその封印の森から漏れ出る強力なモンスターを討伐すること。そして、3つにはいにしえより伝わる聖剣を守り、いつか聖剣に認められる剣士を輩出することである。

 そのためソルクレイドでは、剣の強さがすべてだった。

 おさは剣神・玄空。圧倒的な剣の強さにより、集落の男女から神にも似た尊崇を一身に受けている男である。
 集落の女性たちは、例えそれが人妻であったとしても玄空と交わり、その子を成すことが最上の名誉とされていた。

 そのため、玄空の子には異母兄弟となる者が多くいたが、玄空の正室であった紫月が命を賭して産んだ1人の男子が嫡子とされ、幼い頃から指導役をつけられ、また切磋琢磨する仲間として同年代の少年少女らが友だちとして選ばれていた。

 その男子の名をタケヒトという。
 恵まれた環境にはあったが、残念ながらタケヒトは強くなれなかった。
 同じ回数、剣を振っても、同じ時間、乱取り稽古をしても、指南役と1対1の特訓をしても、同年代の少年少女たちとの試合には1度も勝てなかった。

 剣の聖地にあって、剣神の息子でありながら、このていたらく。
 陰で馬鹿にする者も多かったが、指南役のダイダラと許嫁いいなずけの美月だけはタケヒトを励まし続けた。

 そして13才になった春のある日。これから本格的な一門の剣士となるための登竜門たる壱の試練の儀に挑戦した。
 この儀を通過すれば、一門の剣士として正式入門生となり、以後、剣技の伝受やモンスターの討伐を許されるようになる。

 ……ところがタケヒトは、同年代の者なら誰でも勝てるような人型の魔物ブラックゴブリンに勝つことができなかった。

 すぐさま父・玄空から勘当され、集落から追放となった。
 それでもダイダラか美月は付いてきてくれるものと、心の底で信じていたが、ダイダラは自分は一門の指導役であり、追放となったタケヒトとはもはや縁もゆかりもないと言われ、美月からは自分は嫡子様の許嫁であり、嫡子ではなくなったタケヒトなどもう知らぬ、今まで励ましてきた時間が無駄であった、自分は次の嫡子様の許嫁であると素気すげなく断られた。

 結局、自分は嫡子という身分でしか見られていなかった。失意のうちにタケヒトは山を下りた。

◇◇◇◇
 生きていくために冒険者となったタケヒトではあったが、やはり弱かった。

 そのため初心者パーティーに所属しても、やがてついて行けなくなってパーティーから脱退となり、また新たな初心者パーティーに所属する、ということを繰り返した。
 やがて、アイツは万年初心者の出来損ないと言われるようになり、やあてどのパーティーからも断られるようになり、遂にはギルドからも除名となった。

 絶望したタケヒトは無謀にも1人で森に入り、初心者キラーといわれる熊のモンスターに遭遇。重傷を負いながらも逃げ続けたが、とうとう岩場に追い詰められた。
 震えながら迫り来る自らの死を見つめ、自分は結局、何にもできないまま死ぬのかと諦めた。

 自分を除名したギルドを恨んだ。
 加入を断ったパーティーを恨んだ。
 自分を笑いものにした冒険者たちを恨んだ。
 脱退するときに晴れ晴れとした顔をした元仲間たちを恨んだ。

 虫けらを見るような目で自分を見た剣の聖地の人々を恨んだ。
 立場だけはある弱者の自分にチッと舌打ちする同年代の少年少女たち、異母兄弟たちを恨んだ。
 結局は自分を捨てた指導役を恨んだ。
 そして、この人だけは最後まで自分に付いてきてくれるのではと信じていた許嫁を恨んだ。
 いつも超然たる態度でたたずんでいる父を恨んだ。
 そして剣の聖地そのものを恨み、最後に情けない自分を恨んだ。

 自分はいったい何のために、この世に生まれてきたのか。結局はすべてを失い、ただ惨めたらしく死ぬ。
 それもこんな魔物のエサになるために生まれてきたのか。

 しかしタケヒトは死ななかった。その時、突然現れた1人のみすぼらしい冒険者が現れて熊を退治し、タケヒトを助けてくれたのだ。
 怪我のせいか、助かって安堵したせいか、タケヒトは気を失った。

 目を覚まし、マサヒトと名乗ったその冒険者を見た時、タケヒトは突如として自らの前世、異世界である日本で暮らした記憶が蘇った。
 混乱するタケヒトに、マサヒトが語った。

 ――お前は、俺と同じ異世界転生者だ、と。

 そして、転生者とこの世界に住む人々との違いを教えてくれた。
 転生者はレベルアップ制なのだという。

 この世界の人は、鍛錬することで経験を積む。またモンスターと戦うことで、その断末魔の際に放出した生命エネルギーの残滓を吸収し経験値とし、その都度、強くなっていくのであり、転生者のようなレベルはない。

 しかし転生者は違う。
 この世界の人と同じように、鍛錬することで僅かながら経験値を得る。
 モンスターとの戦闘の場合は、討伐したモンスターの生命エネルギーを余すことなく自分の経験値とすることができる。

 そしてその経験値でレベルアップすることによって、その経験が反映される。つまり、レベルアップしなければ、いくら経験値を積んでも強くなれないのだ。
 またスキルと呼ばれる技能も、自らが転生者であることを思い出す=覚醒しなければ身につかないらしい。
 逆に、自分が転生者だと思い出せば、今度はこの世界の人よりも楽にスキルを習得することができるということだから、これを恩恵というべきか、呪いというべきか悩むところである。

 ――お前、その様子だとひどく苦労したようだな。同じ転生者のよしみだ。パワーレベリングでお前を強くしてやろう。

 マサヒトはそういうと、自らのスキル。創造された別世界アナザーワールドにタケヒトを連れていった。
 この世界は、元の世界の1時間が100時間となる空間であるにもかかわらず、年齢は元の世界の早さで歳を取る空間。さらにマサヒトが自由に好きなモンスターを召喚できるという。
 神の如きすさまじいスキルだけれど、本当は元の世界に戻るための手段を探していて、偶然、このなんちゃって精神と時の部屋スキルを習得できたらしい。

 その空間でマサヒトの指導の下で、タケヒトの特訓が始まった。

◇◇◇◇
 それから5年。アナザーワールドで500年もの間、自らを鍛え、数多のスキルを得たタケヒトの特訓が終わった。

 別れ際には鑑定スキルを身につけていたタケヒトが、自らを鑑定すると「歪んだ勇者」の称号と「復讐を願う者」の称号が付いていた。
 マサヒトは笑って、別に好きにするといいさと言った。おそらく彼もひどく辛い目に遭ってきたのだろう。いや、転生者全体がそういう経験を持っているのかもしれない。

 マサヒトに深く感謝して別れたタケヒトは、それからさらに2年間かけて世界を放浪した。

 そして、集落を追放されてから7年が経ったある日。タケヒトは、剣の聖地の入り口である聖地門を前にして、菅笠すげがさをかぶって立っていた。

 すぐそばには付き人のルリコが、深いフードをかぶって控えている。
 彼女は魔法の聖地である「塔」から、マサヒトと同じような状態で追放された転生者だった。
 タケヒトは奴隷として売られていた彼女を引き受け、自分がマサヒトにしてもらったように、2年ものあいだ世界中を連れ回しながら、ひたすら自分と彼女のレベル上げに専念していた。

 タケヒトの鑑定眼も使い慣れていくうちに、この世界の人やモンスターの強さをもレベルに換算して把握できるようになり、ルリコの強さもそこいらの騎士団にしろ、冒険者にしろ太刀打ちできないレベルまであがっていたのがわかっている。

「何やつだ! ここは剣の聖地ソルクレイドなるぞ」

 門上の櫓から誰何すいかされるも、タケヒトは黙って腰に差した刀を振り抜いた。
 次の瞬間、巨大な真空衝撃波ソニツク・ウェーブが発生し、聖地門を吹き飛ばした。

 ドグオオオォォォン。

 破壊の音が静かだった山間やまあいに響きわたる。
 すぐに騒がしくなっていく里を臨み見て、タケヒトはニイッと笑みを深めた。

「ルリコ。行こう」
「りょーかい。いよいよ本懐ほんがい上等だね」
「それを言うなら本懐成就じようじゆ、または喧嘩けんか上等だな」
「そう、それそれ」

 2人は聖地門があった場所から、集落に入っていった。

「貴様か! これをやったのは!」
 目の前にやって来たのは、集落の有象無象の男と女の剣士たちである。

「おお。見覚えのある奴らもいるな」
と言いながら、同年代だったとある兄妹を見ると、妹の方が、
「まさか……。タケヒト」
と気が付いたみたいで驚愕していた。

 すぐに兄の方が妹を見て、「タケヒトって追放になったできそこないのか?」と聞き返し、タケヒトの方に顔を向けた。

 だが、その時、タケヒトは兄のすぐ目の前にいた。
 ギョッとして身体がこわばる兄に、タケヒトはニィッと笑って、
「ああそうだ。だが、できそこないはてめえらの方だ」
と言い、その兄を蹴り飛ばした。

 一瞬にして、背後に連なるいくつかの家を破壊しながら吹っ飛ぶ兄。妹は目を見開いてタケヒトを見た。「あ、ぁぁあ」

 周囲の大人たちは、一体いつタケヒトが兄の目の前に移動したのか、その動きすら見えなかった。驚きつつも剣を抜く。
 それを馬鹿にしたように見下すタケヒトは、闘気を一気に練り上げた。
「ふぅんっ!」

 頭上より、重いというには余りにも重すぎる空気が人々にのしかかった。タケヒトの闘気に誰もが飲まれ、恐るべき圧力となって押しつぶそうとするかのように人々を動けなくした。

 すぐそばにいた妹はカタカタと震え、恐怖に満ちた目でタケヒトを見上げ、一言も言葉を発することができずにいる。
 しゃべろうと口を開いた途端に、獰猛な獣に食い殺されるような気配を、本能的察知したのだ。そしてそれは、周囲の人々も同じ状態に陥っていた。

 剣の聖地といえば、下界とは隔絶した力を持つ人々ばかり。それは男も女もだ。
 しかし、今のタケヒトにとっては雑魚以下の、路傍ろぼうの石の如き者どもに思えた。

「行くぞ。ルリコ」
 タケヒトはルリコに声を掛け、何もできずにいる人々を尻目に、2人で集落のとある場所へ向かった。

 一方で、その姿が見えなくなるや、人々はへなへなと崩れ落ち、自ら震える手を見つめた。

「――大変だ」
 誰かがそうつぶやいた。
「大変だ! 誰か、お館さまに!」

◇◇◇◇
 ルリコがさもおかしそうに、
「見た? さっきの人たちの顔!」
「……ああ」
「自分たちが捨てて追放したはずのタケヒトに、怯えて何もできないなんて。痛快!」
「昔はこんなんじゃなかったんだがな」
「タケヒトが強くなったからよ。……私も助けてくれたし」

 そういってタケヒトの腕に、自分の腕を絡めるルリコ。そしてタケヒトは、彼女に笑みを見せた。転生者同士の2人は、そういう関係になっていた。

「それで、どこに行くの? お館さまだっけ? お父さんを倒しに行くんじゃ……」
「ああ、それはまだ後だ。――その前に、もっと絶望を味わわせてやろうと思ってな。――ほら、あそこだ」

 そう言ってタケヒトが指をさした先には、赤い鳥居の神社があった。

 すでに異変を察知してか、神社の守り役・迦楼羅かるらの一族の剣士たちが殺気をみなぎらせてタケヒトたちを待ち構えている。
 奇しくもその服装は、日本の神社の神主や巫女のような服装だった。
 その先頭にいるのは他でもない。剣の聖地の誇る最強の実働部隊・八部衆が1人の烈空れつくう、同年代の男子・五郎丸の父でもあった。

 烈空が鳥居の前に立ち塞がり、
「貴様らか。剣の聖地に押し入った愚か者どもは。――むっ。お前、その顔は……、もしやタケヒトか?」
「復讐しに戻ったぜ。五郎丸の親父さんよ」
「壱の試練の儀すら乗り越えられなかった出来損ないが、何を言う」
「ははは。そうだな。それで俺はすべてを失った。――だがな。俺は強さを得た。貴様らを虫けらのように殺せるくらいにな!」
「――愚か。里より追放されて、頭がおかしくなったか」

「すぐにわかるさ」
「ここがどこかわかっているのか?」

 距離をあけて烈空に対峙したタケヒトは腰に差した刀に手を添えた。とあるダンジョンの最深部で手に入れたこの刀を、タケヒトは愛用していた。
 剣ではなく刀。転生前も触ったことすらないけれど、日本人としてのDNAのなせるわざか、不思議なほど刀の方が手に馴染んでいた。

「知っているさ。聖剣をいただきに来たんだからな」
「ならば、手加減は無用。お役目にしたがい、貴様を誅殺する」
「はっ。やれるものならやってみな!」
「者ども、かかれ!」

 おうっと応えを返す迦楼羅の剣士どもと一緒に、タケヒトに襲いかかる五郎丸の父・烈空。
 その名の通り、その斬撃は空を切って飛んでくる。それに対してタケヒトは――。

「ば、馬鹿な……」
と絶句する烈空。
 幾多の魔物を切り裂いてきた自らの斬撃が、なんと同じく空を切って飛んでくる斬撃で相殺されてしまったのだ。
 このような芸当は、よほどの技倆の差が無くてはできない。当代の剣神でさえも不可能なことだった。しかも他の迦楼羅の剣士をあしらいながらである。

 タケヒトは「ふっ」と短く呼気を吐くと、瞬時に烈空の懐に入った。
 その動きが見えなかった烈空が驚愕の表情を浮かべたが、そんなことはお構いなしにタケヒトは自らの刀を振り払った。

 ザシュッ。

 鮮血がほとばしり、烈空の右腕が切り飛ばされる。迦楼羅家伝来の宝剣・朱雀すざくとともに。
「ぐわあぁぁぁぁ」

 余りの痛みに地面に膝をついてのけぞった烈空に、一族の男女の剣士たちが駆け寄ろうとしたが、その前にタケヒトに蹴り飛ばされてまっすぐ横に吹っ飛んでいった烈空は、ばきぃっと社の壁にめり込んだ。

 烈空の右腕と宝剣をキャッチしたタケヒトは、悔しげな表情を浮かべる烈空の一族を愉快げに見ながら壁にめり込んだ烈空に近寄り、その心臓に無造作に朱雀を突き立てた。
「がはっ」と血を吐く烈空は、そのまま何もできずに死んだ。

 周囲の剣士の中から「あなたっ」「父上っ」という声がしたが、タケヒトはそれを無視して、突き立っている朱雀に対し刀を抜き放ち、朱雀を根元から断ち切った。

 柄の部分から宙をクルクルと飛んでいった朱雀を見て、迦楼羅の一族が一斉に悲鳴を上げる。
「愉快、愉快。さあ、楽しい復讐の始まりだ」

 タケヒトはニヤリと笑うと、一番近くにいた巫女姿の女性をすれ違い様に切り捨て、さらに目も止まらぬスピードで、守り役の男女を殺しつづけた。

 神社の境内が血で染まり、守り役の一族だった迦楼羅一門の肉塊が転がっている中で、タケヒトはようやく刀の血をぬぐってさやに納めた。
 そして一番最初に殺した烈空を見て、
「安心しろ。てめぇの息子は殺さないでおいてやる」
と言い、つまらなそうに本殿の正面扉の前で膝を抱えて待っているルリコのもとに行った。

「もう~。遅い」
「悪い。つい楽しんじまった」
「いいよ。許す。そのかわり今度、1つ言うことを聞いてもらうからね」
「はいはい。……じゃあ、中に行くぞ」
「いいの! やりぃ。言ってみるもんだね。ね、ね。早く行こう! 楽しみ!」

 ニコニコ笑顔のルリコを横目に、タケヒトは本殿の扉を開き中に入った。
 室内は中央に祭壇があるきりの簡素な造りだった。その祭壇の一番上に安置されているのは白い布でぐるぐる巻きにされている1本の刀だった。

「へぇ。聖剣の使い手を輩出するのが悲願と聞いていたが、剣じゃなくて刀じゃんか」

 剣神の父だけでなく、代々の一族のものたちは馬鹿なんじゃないかと思いつつ、無造作にその剣に手をのばした。
 するとどこからともなく、声が聞こえてきた。

 ――蒼海そうかいよ。久しぶりだな。

「なんだ? 今のは。……聖剣か?」

 戸惑うタケヒトだったが、さらに別の見知らぬ声が聞こえてきた。

 ――なんだ炎環えんかんか。聖剣などというから一体どんなやつかと思ったが……。
 ――随分な口をきくではないか。だが……、なるほど吾の主にもなる資格はあるということか。
 ――かっかっかっ。そりゃそうよ。この蒼海の主であるからな。

「おい。さっきからしゃべってるのはお前らか」

 タケヒトが聖剣と自らの腰の愛刀に向かって言うと、
 ――その通りだ。主。
 ――なんじゃ、我らが意思ある武器とは知らなんだか。
いらえが返ってきた。

「すると蒼海がお前で、聖剣は炎環というのか。……悪いがお前を迎えに来たぜ」

 ――ふっ。蒼海のみならず、吾の主になるか。歪んだ勇者よ。
「拒否しても無駄だぜ。嫌だといっても力づくで持っていくからな」

 ――構わぬ。どうせここの里の者では、何千年経とうと吾の使い手は現れぬ。
「いいのか。俺はお前で、この里の奴らを血に染めるぞ」

 ――ははは。これは異なことを。吾は刀ぞ。使い手次第で魔物であろうと、人であろうと斬るが使命だ。善悪など吾には関係ない。
「ほぉ。いい刀だな」

 ――だが、1つ条件がある。吾の使命はもう1つある。ここな森にとある魔物を封印するが、その使命ぞ。故に、お主には吾を持ってその魔物をほふってもらいたい。
「そいつは強いんだろ? なら願ったりだ」

 もはや下界には自分に殺せぬモンスターはいない。それだけの修練と重ね、それだけ多くの強力な魔物を殺してきた自負がある。
 もしもここの封印の森にそんなに強い魔物がいるというならば、むしろ好都合だ。さらなるレベルアップが見込めるから。

 ――うむ。ならば吾はそなたの刀となろう。

「っと蒼海だったか、お前もいいよな?」
 ――我らで二刀流とは剛毅なことよ。だが、それも面白い。異論は無いぞ。

 思わぬ成果だと思いながら、タケヒトは聖剣を台座から取り上げ、早速、巻きつけられている布を解いた。

 深い紅のあつらえの鞘に、同色の鍔。握り手は黒と朱の絹糸が巻かれている。
 すらりと鞘から抜きはなち、捧げるように手に持って波紋を見る。美しい乱れ波紋に赤い輝きがほのかに宿っていた。

 青い輝きを帯びる蒼海とは対照的だが、これはその名前が指し示すように、蒼海は水属性であるのに対し、炎環は火属性の特性を持っているのだろう。

 ――それでは森へ案内しよう。

 炎環の声とともに、タケヒトとルリコの周囲の空間が歪み、2人は一瞬で封印の森の中へと転移した。

 転移した先は、森の最奥。強力な魔物を生み出す根源とも言える存在。膨大なマナを溢れださせ、森へと垂れ流しにしている巨大な魔物。8つ首のドラゴンの恐ろしい姿があった。

 その迫力に飲みこまれたルリコが、おそるおそるタケヒトに聞いた。
「――あれのレベルは?」
 タケヒトはニヤリと嗤った。
「986だ」

 そのレベルのあまりの高さに、ルリコは青ざめる一方で安堵もした。

 タケヒトが蒼海と炎環をそれぞれ右手と左手に持ちながら、ルリコに言った。
「全力で防御結界を張って、お前は隠れてろ。――あれは俺のエサだ」

 そして、地面を蹴って怖るべきドラゴンへと切りかかっていった。

 タケヒトは気づかなかったが、このドラゴンこそ「世界を滅ぼす者」との称号を持つ最凶最悪のモンスターであった。

 油断しているドラゴンに切りかかったタケヒトは、たちまち1本の首を切り飛ばす。
 嬉しそうに戦っているタケヒトを見て、ルリコは防御結界に力を注ぐとともにつぶやいた。

「レベル375の私じゃ絶対に倒せないけど、タケヒトにとっては美味しい獲物ね。――このレベル1570の理不尽男め」

◇◇◇◇
 神社に戻ったタケヒトとルリコが本殿の外に出ると、そこには剣の聖地の剣士たちが勢揃いしていた。

 正面には父の剣神・玄空と、タケヒトの後に嫡子に選ばれた異母兄弟の1人・玄波げんは、そして、タケヒトの元許嫁だった美月、さらにかつての指南役ダイダラを含む残る八部衆の7人に、期待の青年剣士に成長した同年代の男女がずらりと並んでいる。

 その光景にビクッとしたルリコだったが、タケヒトが「落ち着け」と言った一言で落ち着きを取り戻す。

「久しぶりだな親父殿に、新嫡子殿。それに美月」

 あいかわらず美月は美しかった。7年の歳月を通して、ますます女性らしくなっている。と一瞬思ったが、まさか未練があったのかと内心で自嘲し、すぐにどうでもいいことだと思い直す。
 だいたい、自分を簡単に捨て去った恨みを忘れちゃいない。

 タケヒトに敵意むき出しで噛みつこうとしたのは、その美月の今の許嫁である玄波だった。
「出来ぞこないが、こそこそと泥棒の真似を! だがな。卑怯な手で烈空殿たちを殺した以上、貴様らはここで俺たちが誅殺してくれる」

 だがタケヒトは嗤った。
「吠えるな。雑魚が!」

 そして一瞬で玄波の前に移動して、その腹を殴った。
 タケヒトの拳が突き刺さるように玄波の腹にめりこみ、玄波はくの字になって10メートルほど吹き飛んだ。それを見届けることなく、再び瞬間移動の如き速度で元の場所にタケヒトは戻る。

 その一瞬の攻撃に、余裕の笑みを見せていた人々が凍りついた。

「さすがは嫡子殿。随分といい格好をしてるじゃないか。……なあ? 美月」
 かつての許嫁を挑発するが、美月は悔しげに唇をかんでにらみつけているのみだった。

 それを虫けらのように見下したタケヒトは、
「なんだ。言い返してこないのか? つまらないな。……まあ、いいや」
と言い、腰に差した朱色の刀、聖剣として祀られていた炎環えんかんを見えるように高く掲げた。

「お前たちが厳護し、使い手を求めていた聖剣も、ほらこのとおり。実際は剣じゃなくて刀だがな。俺はこの刀に認められ使い手に選ばれたぞ」

 その一言に八部衆の面々が「馬鹿な」と騒ぎ出した。だが、その声を無視して、タケヒトは玄空を見る。
「残念だったな、親父殿。見る目の無さが露呈したな。剣の聖地は、今日で終わりだ」

 だがその言葉に反応したのは玄空ではなかった。八部衆の7人に同年代の男女が、
「ぬかせぇぇ」
と叫びながらタケヒトに襲いかかったのだ。

 それを見て、タケヒトは楽しげに言った。
「雑魚は雑魚らしく地面でも舐めてろ」

 一瞬だった。

 気がついたら襲撃者たちは、そろいもそろって地面に倒れ込んでいた。しかも、その利き腕の肘から先を失って……。もちろん烈空の息子・五郎丸も例外ではない。

「ぐわあぁぁぁ」「ぐぬぅぅ」
 苦悶の声を挙げて、見えない力で地面に縫い付けられたようにもがくしかできない人々の間を、悠々とタケヒトが歩いて行った。

 地面に転がっている各家伝来の剣を、わざと1本ずつ順番に破壊していく。
「五部浄、沙羯羅しゃがら鳩槃荼くばんだ乾闥婆けんだつば、阿修羅、緊那羅きんなら畢婆迦羅ひばから……。と、これで八部衆もおしまいと。あっけないもんだ」

 かつての同年代として切磋琢磨した男女を見て、タケヒトがせせら笑う。
「お前たちもよかったな。これでもう無駄な鍛錬をする必要はないぜ。右手がないんだ。すっぱり剣の道を捨てられるだろ?」

 するとかつての指南役のダイダラが肘を断たれた痛みに耐えながら、
「な、なぜだ? なぜこんなことをする? お館様への恨みか? それは間違って――」
と言いかけた。

 次の瞬間、猛烈な殺気がその場に降りかかった。圧力を伴っているかのようなその殺気に、誰もが自分の死を幻視した。

「間違っている? 親父への恨み? ――馬鹿めぇぇ! ダイダラ! 間違っているのは貴様だ! 恨み? ああ、そうさ。これは復讐さ。
 家族なんてものは最初から無かったがな。誇りも、剣も、許嫁も、すべてすべて俺から奪ったのはお前ら全員だ!
 ――ずっとこの日が来ることを夢見ていたぞ」

 その目には狂気の光が輝いている。
「そうさな。ダイダラ。お前には妹が居たな」
 タケヒトの言葉を聞いて、腕の痛みをも忘れたように跳ね起きるダイダラ。タケヒトの意図を覚ったのだ。

「妹はお館さまの寵愛を受け妾となった。そんな我が一族の誇りである妹を殺させぬ」

 だが、タケヒトは、
「はいはい。説明ありがとうよ。――本当にここの奴らは心底腐ってるな。親父に抱かれるのがそんなに名誉か。……アホらしい」
「タケヒト殿にはわからぬであろう。この誇りある剣の聖地より追放された者には」
「あっそ」

 そこにルリコが口を挟んだ。
「タケヒト。見つけた。あれが多分そう」
 そういって指を指した先、人々に紛れて立っている1人の女性がいた。途端に青ざめる女性と焦るダイダラ。

 次の瞬間、その女性の上半身は空高く舞い上がった。

 宙を回転しながら、その女性は信じられぬとばかりに目を見開き、血を吐きながら吹き飛んで、剣神・玄空の足元に転がった。

 それを見たダイダラが顔をゆがめ、
「あ、ああああ、ああああああ、あああ―――!」
と叫び声を上げた。
 が、タケヒトは再び目にも止まらぬ速度でダイダラの正面に移動し、叫んでいるダイダラを炎環で口から串刺しにした。

「が、かひゅ」

 次の瞬間、ダイダラの全身を炎が包み込む。

 すちゃっと炎環を抜き去ると、糸の切れた人形のようにダイダラが崩れ落ちた。

 それを見た人々が恐怖の目でタケヒトを見る。
「親父。何か言うことはないのか?」

 さっきからただ黙ってタケヒトを見ている玄空に問いかけると、玄空はニタリと笑った。

「ダイダラも所詮は弱者。弱き者は強者に全てを捧げよ。それがここの掟だ。弱者には生きる資格もない。故に八部衆だろうが、負けたならば虫けらも同然だ」

 それを聞いたタケヒトが炎環の刃先を父に向けた。
「じゃあ、次はてめえも虫けらに落ちる番だな」
「ふ、はははは。ようやくだ。ようやく本気を出せる者が現れた。――まさか追放した息子とは思いもしなかったが!」
「残念だが俺は認めない。貴様の息子だなどとは」
「無駄だ。いくら否定しようと、貴様にはワシと紫月の血が流れている。ふはははは」

 笑いながら、先ほどのタケヒトと同じくらいの速度で踏み込んでくる玄空。そこへタケヒトも踏み込んで刀を振るった。

 玄空の剣と炎環がぶつかり合い、しのぎを削る。
「くかかかか。それが聖剣か。素晴らしい輝きだ」
 至近距離で狂ったような笑い声を上げる玄空を、忌々しげな顔で見るタケヒト。2人の戦いを見ていたルリコが一言、「キモい」とつぶやいた。

 急にタケヒトが「む?」とつぶやいて、炎環から左手を離して二刀流に切り替え、蒼海を抜き打ちに放つ。
 それを玄空は上半身を後ろに倒して鼻先で回避した。しかし、そのままタケヒトは左右の刀で追撃を加えようとする。

 たまらず距離を取る玄空に、タケヒトは自分の右手を見下ろして、
「腐ってても剣神か。まさかつばぜり合いの状態から、振動を利用してダメージを与えてくるとは」
「貴様は入門すらしていないからな。剣技など知らぬだろう」
「――ふん。だが必要ないな」

 それは負け惜しみではない。
 タケヒトの鑑定スキルに、はっきりと彼我のレベル差が出ている。玄空のレベルは462。他の里の奴らは八部衆で300台で、他はせいぜいが200レベル。
 これでは全員でかかってもあのドラゴンには到底勝てないし、ルリコにも勝てないだろう。

 つまりだ。いかに剣技で対抗しようとも、タケヒトにダメージは与えられない。むしろ1200レベル以上の差があって、最小の1ではあるけどダメージを与えてくる玄空の剣技は賞賛されてよい。

 加えて今のタケヒトには剣ならぬ刀技がある。むしろ剣技を身につけることは自分の刀技をゆがめてしまう可能性が高いから不要なものだった。いずれにしろ最初から玄空らに勝機は無かった。

 タケヒトは蒼海を納刀して二刀流を止め、炎環を両手で持ち正眼中段に構えた。

 それを見て玄空は、
「どうした? 降参か?」
と言うが、タケヒトにとって見れば、それは滑稽な物言いだ。
 思わず失笑が漏れる。

「――ぷっ。くくく。実力差も把握できぬほどの力量しか無いくせに、よくもそんなことが言えたものだ。貴様には2刀も必要ない」

 もっと言えば素手でも殺せるが、さすがに自分の父を殺す生々しい感触を手に感じるのは御免こうむりたかった。

「では。そろそろ行くぞ。遺言は済ませたか? 後悔する覚悟は済んだか?」

 対する玄空も中段で構えている。その全身から、本気の玄空の証拠である闘気と殺気があふれだし、ゆらゆらと周囲の空気を揺らめかせた。

「貴様こそ、翻弄された末に死ぬおのれの運命を呪え」
「……それが遺言でいいんだな」

 先に技を放ったのは玄空だった。
「秘奥義・桜花散華」

 玄空の周囲が暗くなったような錯覚を覚え、次の瞬間、上段に構えた玄空が剣を振り下ろした。
 舞い散る幻想の桜花を巻き込む一陣の風となって、その斬撃が飛んでくる。剣神の名に恥じない美しくも恐るべき攻撃だった。

 ――だが、その必殺の一撃に対し、タケヒトはただ単に気合いを込めた咆吼を放った。

かあぁぁぁぁぁぁぁつ!」

 その咆吼は玄空の斬撃を吹き飛ばした。さらに次の瞬間、タケヒトが最高速で玄空を斬り、そのまま玄空の背後に現れた。

 玄空の持っている一族伝来の宝剣・竜破が砕け散り、一呼吸置いて玄空の全身から血しぶきが上がった。両の腕が肘から断たれて、そのまま玄空は崩れ落ちる。

 倒れた玄空が笑い出した。
「ははははは。我らが死ねば、誰があの封印の森から出てきたモンスターを退治するというのだ。下界にも大混乱が生じるぞ」

 振り返ったタケヒトは玄空に告げた。
「それならもう終わった。封印の森の中の魔物は、俺とルリコとで全て殺してある。それに俺も熱くなっちまったが、やっぱりてめえは殺さねえ。一生、その格好で苦しめ。……他の奴らもな」

 それからタケヒトの復讐が終わるまで、剣の聖地の里の者はただ2人を除いて、なすすべもなく利き腕を切り飛ばされた。
 1人ひとり死なぬようにルリコが止血魔法を掛けたが、もはや剣を握ることも振ることもできないだろう。

 最後に残された美月は、満身創痍で立っている婚約者の玄波の後ろに守られていた。

「美月。今日で剣の聖地は滅亡だ。剣神を名乗れる者もいなくなった。それでもまだ自分は嫡子の許嫁と言い張るか?」
「――こんな! こんなことをして! 復讐なら私だけにすればよかったのに! たとえあなたが嫡子に戻ったとしても、あなたの婚約者になどならない」
「馬鹿め。簡単に男を乗り換えるような女は、こっちから願い下げだ」

 そこへルリコがやってきて、
「そーよ、そーよ! 立場でしか男を見ない女なんてクズよ!」
と美月を罵る。

「ルリコ、そこまでにしておけ。……さて、残るはそいつから剣を奪えば、俺の復讐は完結する」
 それを聞いて、美月が玄波の前に飛び出てかばおうとする。

「やめてぇぇ!」

 しかし、タケヒトはくるっときびすを返し、ルリコの手を取るとその場を離れていく。
「みんな仲よく地獄を味わえ」

 その様子を見て、玄波は見逃された、よかったと思った美月であったが、次の瞬間、玄波の右腕がストンと落っこちた。
 血しぶきとともに苦悶の声を上げる玄波。とっくに斬られていたのだ。「いやあぁぁぁぁぁ」

 その美月の叫び声を背に、聖地門をくぐって外に出たタケヒトは、う~んと背伸びをした。

 そして憑きものが取れたような笑顔で、隣にいるルリコに微笑みかけた。

「終わった。もし俺に復讐しようとしてきたら、今度こそ殺すが……、まあ、無いだろうな」

 ルリコがうれしそうにタケヒトを見上げた。

「じゃあ、次は私の番ね。……次の目的地は「塔」! レッツ・ゴー! おー!」

 幸いに、封印の森で2人で魔物を全滅させたお陰で、タケヒトのレベルは1600となり、ルリコのレベルも769まで上がった。
 まだ油断はできないけれど、これならルリコの復讐も余裕だろう。

 タケヒトは晴れ晴れしい気持ちで、ルリコに手を引かれるままに山道を降りていく。
 その2人の頭上には、青く澄んだ空がどこまでも広がっていたのだった。

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