1.処刑
王都の処刑場の上には分厚い雲が広がっていて、今にも雨が降り出しそうだった。
何もない時であれば、余計に陰鬱な空気に支配されているはずだが、今は人々が処刑場を取り囲むように詰めかけていて、一種独特の興奮した空気に包まれていた。
目をギョロリとさせた男、眉をしかめてじっと首つり台を見ている女、小綺麗な服を着た人々の一団もあれば、みすぼらしいを着た人々もいる。
誰もがみな、これから行われる処刑を見に来たのだ。
首つり台の脇に立つ身なりの良い役人が、集まっている人々に向かって声を張り上げた。
「これより大罪人リオネル・フォスメルの処刑を執り行う」
たちまちに人々のざわめきが大きくなった。すぐに隣接する牢屋に通じる扉から、若い男の囚人が、武装した騎士たちに引っ張られて出てきた。精々が20台半ばくらいだろうか。血の滲んだみすぼらしい服に、痩せこけた頬、手首には鉄製の枷がはめられている。
「かの者は、王国に謀反を起こしたフォスメル家の次男であり、国王陛下の処断により絞首刑となるものである」
リオネルは両脇を騎士につかまれ、引きずられながら処刑台に上らされた。
人々の怒声で騒然となるなか、処刑台の下で首に縄をかけられる。すでに身体に力が入らないようで、ぐったりとなすがままにされていた。
「……やる」
リオネルの口からかすれた声が漏れる。
「恨んでやるぞ、カラージン」
そのつぶやきを耳にした役人が、群衆の声に紛れてリオネルにささやいた。
「恨むなら貴様の父を恨め。はじめから鉱山を譲り渡しておれば、貴様ら一族も滅亡せずに済んだのにな。むしろ感謝して欲しいものだ。この歴史ある処刑場で死ねることを」
そして、右手を上げた。次にその手をおろした時が執行の合図となる。
悪者の処刑。国王による正義の執行。
何も知らない民衆は熱に侵されたようにリオネルを罵っている。処刑の時を期待しているのだ。
役人はあざけりを含んだ笑みを唇の端に乗せ、ささやいた。
「喜べ。明日は貴様の婚約者を吊してやる。病気で良かったな。綺麗なままでおくってやるから、冥府で仲よくするんだな」
「きさまぁぁぁぁ!」
リオネルが叫んだと同時に役人が右手を降ろした。リオネルの足元の床がスコンと抜けた。
ドサッという音とともに一瞬で吊されたリオネルの首の骨が折れ、気管をふさぐ。身体が痙攣でビクビクふるえた。頭が沸騰するような苦痛の中にあってリオネルはひたすら恨んだ。
鉱山ほしさにフォスメル男爵家を反逆者に仕立て上げたカラージン・ネソルト伯爵を。そして、罠にかけた奴らを。王国を。
一族の恨み。自身の恨み。
カラージンよ。死んでも貴様を殺す。
僕たちを罠にかけた奴を一人残らず地獄におとしてやる。
視界では手を振り上げ騒ぐ民衆が、うごめく深紅の影のように見える。地獄の亡者のような冒涜的な影に。
同時に涙がこぼれてきた。彼女を守れなかった。それが悔しい。悔しくてたまらない。
指の間に滑らせたあの栗色の髪。見つめ合った美しい瞳。
いつも聞こえていた声が耳によみがえる。
自分のせいだ。自分と婚約してしまったから彼女まで処刑されることに……。
ああ、エリザ。すまない。君を救えそうにない。
誰か彼女を救ってくれ――。そして、あの伯爵を、伯爵家を滅ぼしてくれ。
切に願うリオネルの脳裏に、自分に向けられたエリザの笑顔がよみがえる。愛おしい彼女。その笑顔が白く消えていく。
リオネルの目尻から涙がこぼれると同時に、その命もはかなく消え、もがいていた身体ががくんと力を失って垂れ下がった。
――その時、騒ぐ民衆の足元でぽつんと何かが光った。誰も気がついていないが、薄い緑の燐光が石畳の上をさっと走り、何かの模様を描き出す。
小さな光は刑場をぐるっと囲むように巨大な円を描くと、やがて黒く色を変え、外側からじわじわと内側に向かって複雑な文様が浮かび上がっていく。
やがて図形が完成して魔法陣が現れ、そしてすうっと消えていった。
◇◇◇◇
深い眠りからさめたように、リオネルの意識が覚醒していく。
身体の感覚はない。まるで夢のなかにいるようにふわふわとしている。
だが、そこは夜の処刑場だった。
少しずつ感覚がはっきりしてくると、足元に魔法陣があるのが見えた。そして同じ魔法陣の上、少し離れたところに青白く神秘的に輝く光の珠が浮かんでいる。
その光の珠を見た時、理由はわからないが、よく知っている気配を感じた。
近くに寄ろうと思った瞬間、身体がすべるように動き、気がつくとリオネルはその光の珠の目の前にいた。
リオ、ネル。ああ、リオネル。
とぎれとぎれに思念が言葉となって伝わってくる。この声は……、エリザだ。婚約者のエリザ・ミストラル。
とすると、この光の珠はもしや彼女の魂か。
あれから何日が過ぎてしまったのだろう。いったい自分はどうしてしまったのか。
けれど今はそれよりも彼女を……。
美しい光をまとっている彼女の魂を両手で包み込み、そっと胸に押しいただく。――エリザ。僕はここにいるよ。
その時だった。リオネルの耳に誰かの声が聞こえてきた。いや、ずっと聞こえていたのかも知れない。リオネルが気が付かなかっただけで。
……ルベラ・ドリオル・ネフタリーゼ……サリベ・ジムノール・エレメント…………マドゥライ・ゲフト・タルギルド……。
それは何かの詠唱だった。リオネルには何が起きようとしているのかわからなかったが、足元に広がっている魔法陣が輝きを増していく。その魔法陣から光の粒子が浮かび上がり、少しずつリオネルの身体に吸い込まれていく。
これはっ。知識が頭に――。
魔法陣の光がどんどんリオネルの身体に吸い込まれていく。それと同時に魔法陣が外側から少しずつ消えていった。
やがて最後の光が吸い込まれたとき、そこにはただ夜の静けさだけが残っていた。
すべてが終わったとき、リオネルは理解した。
そうか。僕はもう人間じゃない。アンデッド・キャスターになってしまったのか。
魔法陣から焼き付けられた知識で、リオネルは悟った。
エルダ・リッチとか、単にアンデッドと呼ばれる生と死を超越した恐るべき魔法の使い手。
魔導の極地を目指した魔法使いや高位の僧侶が、不老不死を目指して突き進んだ果ての姿。
魂を現象界に重なって存在するアストラル界に置き、肉体を現象界に構築した不滅の魔物。そんなものに自分はなってしまった。
そう。リオネルは死して蘇ったのだ。
この魔法陣を誰が作ったのかわからない。なぜこの刑場にあるのかも。しかし、自分が処刑されたときに魔法陣が起動した理由はわかる。……恨みだ。伯爵への強烈な恨みがトリガーになったのだろう。
そうか。アンデッド・キャスター! はははは。
これなら! これならば殺せるぞ。カラージン伯爵を。奴の一族を滅ぼしてやれる。それも自らの力で。
もしかしたら一族の恨みが、この魔法陣に力を与えたのかも知れない。それとも神の思し召しか。
それはともかく魔法陣は、最後に処刑されたエリザの魂までも保護してくれたようだ。
リオネルはエリザの魂を自身につなぎ止めるために、さっそく手に入れた知識に導かれ、魔力を練り上げた。アストラル界にある自分の魂と繋いで存在を確定。保全を済ませるとその魂を懐にしまいこんだ。
すべてが終わってから、エリザも復活できないかやってみよう。そのための知識はもたらされた。そして、復讐の力も。
やるべきことは沢山ある。さあ、始めようではないか。
リオネルの姿はその場からスッと消えた。
◇◇◇◇
それから1ヶ月の後。カラージン・ネソルト伯爵の寝室のドアを、執事長が激しく叩いていた。
「伯爵様! 大変です。アンデットの大群が街に迫っています!」
「なにっ」
伯爵は苛立たしげに立ち上がり、すぐにガウンをまとうと部屋を出た。執事長を後ろに引き連れながら、次々に指示を出す。
「――騎士団だ! それと教会に連絡を!」
「はっ」
「それと城の守りを固めさせろ。武具に聖水をかけるよう言え!」
「はっ」
豪奢な廊下に、外から聞こえる警鐘の音が響いている。
領都エーデルトランは王国西部屈指の大都市である。
拠点防衛都市でもあり、街を囲む城壁は分厚く高い。
配下の騎士や警護兵も充分訓練させてあるし、装備にもお金を遣っている。アンデッドの撃退など、すぐにでも可能だろう。
……それでも激しく鳴りつづける警鐘が、不吉な予感をかき立てる。
強がるように荒々しく歩く伯爵だったが、その足音は分厚い絨毯に吸収されていた。
そのころ領都エーデルトランを囲う防壁上には、かがり火が幾つもたかれ、何人もの騎士たちが忙しなく動いていた。
彼らの目には見えていた。防壁の外、暗い南方の街道をやってくる不死者の大群が。
青白い炎のようなものが幾つもただよい。その不気味な光に照らされて、ゾンビやスケルトン、そして鎧に身を包んだ騎士の姿が青白く浮かび上がっていた。
その先頭に神秘的な光をまとわせた豪華なローブに身を包んだリオネルの姿があった。もちろん夜のこの距離では騎士たちからは顔は見えない。
しかしそのフードの下で、リオネルは目を赤く輝かせ、歓喜に顔を歪んだ笑みを浮かべていた。
復讐の時は来た。伯爵よ。今からおまえの所に行くぞ。
防壁上から火矢が次々に放たれる。しかし、その火矢はアンデッドの大群の前で何かにぶつかって落ちた。
リオネルの張った魔法の障壁だ。
――行け!
リオネルの指示で、悪霊や怨霊が空を飛び、次々に防壁上の騎士たちに襲いかかっていく。
聖水で武器を濡らして戦ったが、あまりに多い敵に対しては焼け石に水だった。そして、騎士が1人倒れると同時に、1人のアンデッド・ナイトが増えた。
悠々と街に入る大扉にやってきたリオネルの軍勢。
進軍を阻む巨大な鉄の扉に、リオネルは魔法を放った。
「腐れ落ちろ」
黒魔法の1つである腐食魔法の紫の光を浴びると、みるみるうちに扉が黒くなり、全面に赤茶色のさびに覆われるや、ぽろぽろと崩れ落ちていった。
その奥にあった2つめの防壁である巨大な鉄格子も、あっというまにボロボロになっていく。
「伯爵に告げるがいいさ。お前の罪をあがなう時が来たと」
リオネルのその言葉を皮切りに、アンデッドの大軍がリオネルを追い越して鉄格子に押し寄せ、打ち倒し、そして街へ侵入していった。
街の人々は、窓から街を進むアンデッドに恐怖した。玄関こそ、警鐘の音が鳴っている時点で戸締まりをしているが、これだけの魔物が相手では破壊されるのも時間の問題だ。
しかし逃げる場所もない。ただ隠れて見つからないように神に祈るだけだ。
人々の祈りが通じたのか、アンデッドの大群は恐怖におびえる人々など無視をし、一般庶民の家を目もくれずに、まっすぐに伯爵の居る城を目指した。例外としてアンデッドが攻撃したのは、街の中にあるいくつかの商家だけだった。
途中で冒険者らしき男女が攻撃を加えてきたが、たちまちのうちに怒濤の勢いで押し寄せる群れに飲みこまれた。
固く閉ざされた伯爵城の城門であったが、あっというまに押し寄せるアンデッドたちにより破壊される。そのまま城内になだれ込んだアンデッドは、騎士たちをこそ殺したが、伯爵とその一族の者たちは殺さずに捕らえ、城門前に引きずり出してきた。
城門前には、リオネルが待っていた。
アンデッドナイトに地面に押さえ込まれた伯爵は、リオネルの顔を見上げた。
「くそっ。なぜこの儂を!」
悪態をつく伯爵をリオネルは冷たく見下ろした。
「この顔にも見覚えもないか。貴様が鉱山の利権ほしさに陰謀をめぐらして滅ぼしたフォスメルの次男だ」
2体のアンデッドナイトが伯爵を持ちあげた。左右の両腕を引き、まるで十字架に磔にしているようだ。
リオメルはそのすぐ前までゆっくりと歩いて行き、伯爵の顔を見上げた。
「鉱山? フォスメルだと……。馬鹿な! い、いや待て!
あ、あ、あやまる。
そうだ! フォスメルの一族を弔おう。あなた様を当主に、フォスメル家の復興を認める。――だから許してくれ!」
リオネルは伯爵の胸に右手を置いた。「――もう遅い。貴様には祝福ならぬ呪禍をやろう」
「たのむ。許してくれ! たのむぅぅぅ!」「死ね」
伯爵の全身に血管が浮かび上がる。
「ぐうぅぅぅぅ」と伯爵がうめき、もだえ苦しみはじめた。ギョロリと目玉が飛び出そうになり、全身がビクビクと震えた。
「があぁぁぁぁぁ――」
肌から生気が失われて白くなり、急速に生気が吸い取られるようにしぼんでいき、最後に伯爵はミイラのようになって死んだ。
それを見て恐怖に泣き叫ぶ伯爵家の人たち。だがリオネルには伯爵本人以外の人々を苦しめるつもりはないようで、その目でひとにらみをして、一瞬でその命を吸い取った。
伯爵家の人々は、何が起きたのかわからぬまま、末端の幼い子供までも全員が死んだのだった。
それを見届けたリオネルは、アンデットを引き連れて領都を去った。
だが人々は、朝日が差し込むまで家から出てくることは無かったのだった。
この領都への襲撃の後、ほかの場所にいた伯爵の血族も、死因こそ様々だが、一人、また一人と死んでいった。
それを聞いた王国中の人々は、フォスメル家の呪いとして恐怖とともに噂をしつづけた。
不思議なことに同じ時期に、王国の第三王子までもが夜会の最中に突然胸をかきむしって死ぬ事件が発生した。王子は伯爵家とは血筋がつながっていないので、伯爵家の滅亡とは無関係と思われたが、人々はその突然死も呪いとして噂しあった。
第三王子の急死もそうだが、伯爵家の滅亡は王国に衝撃をもたらした。
国王は、伯爵家滅亡の真相を調査するよう宰相に命じたが、その次の日の昼間のことである。王都に不気味な事件が発生した。
王都の入り口の大門に、滅亡したはずのネソルト伯爵家の紋章をつけた豪華な馬車がやってきたのだ。
警備の衛士がそばにより、
「止まれ」
と命じ、御者に近寄った。フードをかぶっていた御者の顔をのぞき込むと、その顔は青白く、顔半分が腐っていた。
「あ、アンデッド!」
慌てて剣を抜くと、騒ぎを聞いた他の衛士たちも馬車を囲んで槍を突きつけた。
すると馬車の側面の窓が開き、中から死んだと思われていたカラージン伯爵が顔を出した。その顔も御者と同じく半分が爛れ、腐り落ちていた。
「お役目ご苦労。陛下にご報告に来たのだ。通してもらうぞ」
アンデッドを王都に入れるなど言語道断である。しかし、自分たちいは一介の警備兵でしかない。アンデッドに有効な武器もなければ、このような事態を想定すらしていなかった。
しかもこの伯爵のアンデッドはなんと言った? 「陛下に報告に行く」
常識の埒外の事態に、現場の最上官である衛士長はどうすればいいのかわからずに混乱し、1人の衛士を王城に連絡にやるとともに、
「伯爵。いま王城に連絡をしますので、ここでお待ち下さい」
と伝えた。
しかし、伯爵のゾンビは、
「待てぬ。……通らせてもらおう」
と告げ、御者ゾンビに勝手に馬車を進めさせる。
「ま、待て!」「止まれ!」
槍を突き出す衛士たちだったが、強引に進んでいく馬車を止めることができずにじわりじわりと後ずさり、その馬車はついに門を通り抜けてしまった。
何も気づかぬ人々の間を馬車が通り過ぎていく。民衆は馬車が貴族のものであることには気がついていたが、それが呪われたネソルト伯爵家のものとはしらなかった。
ただ追いかけてくる衛士の様子に怪訝に顔を見合わせていたくらいだった。
街の中央部の噴水広場に差しかかったところで馬車は停止し、伯爵が馬車から降りた。
伯爵の顔を見た人々は、街中でのアンデッドの出現に叫び声を上げ、あっという間に混乱が広がって行った。
大門から追いかけてきた衛士たちが取り囲む中、馭者ゾンビは大きな一枚の板を取りだし、人々に見えるように掲げた。
準備ができるや、伯爵ゾンビは馭者ゾンビをお伴に、悠々と王城に向かって歩みを進めていく。
馭者の掲げた板には、「大罪人。利権に目をくらませ、フォスメル男爵家を罠にかけて滅亡させた罪により、この者と一族を処刑した」と書かれていた。
さすがに伯爵のゾンビとあって、駆けつけた騎士や教会の神官もただちに浄化することはせず、警戒をしながら何をしようとしているのか見定めようとしていた。
もしもこれが教会の大神殿に入り込もうとしているのであれば、問答無用に浄化するのであるが……。
騒ぎを聞きつけた宰相が駆けつけると、伯爵のゾンビはピタリと立ち止まった。驚愕の表情を浮かべる宰相に向かって、伯爵は自身の行ったフォスメル家への陰謀を丁寧に説明をしはじめた。
驚くべきことに、伯爵の陰謀には第三王子も関わっていた。そしてこの瞬間、第三王子の急死が噂どおりの呪いであることが判明したのだった。
説明が終わるや、
「宰相閣下。以上のことを陛下に申し上げねばならぬ。謁見をお願いしたい」
と言いだしたが、宰相はそれを却下した。
すると伯爵は、
「それでは宰相閣下から、陛下に報告をお願いします」
と言い置くとポケットから水筒を取り出し、中の液体を頭から浴びた。
中に入っていたのは強力な聖水だったのだろう。見る見るうちに身体が溶け、異臭を放ちながら伯爵ゾンビの身体は消滅した。
王子が陰謀に加担していたとあって、王家は箝口令を敷こうとしたが、ついに人の口には戸が立てられず、その事件の顛末は王国内、はては国境を越えて広がっていったのだった。
王国は、リオネルを危険視し、捜索と討伐を命じた。しかしそのころ、すべての復讐を終えたリオネルは、誰にも見られることのないままに、伯爵領内のとある迷宮に入っていったのだった。