3.ホムンクルスの成長
予定通り27日が経ち、無事にエリザは水槽から出ることができた。
ところがリオネルはうっかりしていて、エリザの服を用意するのを忘れていた。
あらかじめ予定していたことなのにと、二人の間でひと悶着あったわけだが、今のエリザはリオネルの大きなローブを無理やりかぶって椅子に座っている。
「んもう! まさかとは思っていたら、まさか服を忘れているなんて!」
「あはは……、まあ、その、ね」
リオネルの困ったような笑みを見て、幼児の身体に戻ったエリザは思わずため息をついた。
「リオネルらしいわ。まったく。……で、どうすればいいのかしら? ここには布地なんてなさそうだし」
「魔力で服を作ったらどうだろう」
「魔力で?」
魔力で服を作り出すのは吸血鬼やワーウルフなど、変身する種族の特技なのだが、リオネルには魔法陣由来の知識でやり方がわかっていた。
「まだ実感がないと思うけど、エリザの身体には、膨大な魔力が宿っている。さらに自然回復する量も多いんだけれど、そこからちょびっとだけ融通して服にしたらいい」
「……なんだか面白そうなお話ね」
「そうだろ」
どうやらエリザの機嫌もなおったようだ。リオネルは今のうちにとばかり、話を進めてやり方を教えていった。
エリザはそこまで怒っているわけじゃなかったけれど、再びリオネルとこうしてやり取りできているのがうれしくて、歯止めがきかない状態だった。
実はリオネルの持っている服も、今エリザがかぶっているローブ1着のみしかなく、今身に付けているローブは魔力で作り出したものだった。
エリザの間近でその服を見せるリオネル。エリザが意識してその布地を見ると、魔力の流れが具現化し、魔術文字の術式のようなものが読み取れると同時に何となくやり方がわかった。
これもエリザの魔眼のおかげだ。左の青い瞳の魔眼は、森羅万象を解析鑑定する伝説にあるような解析眼、そして、右の空色の魔眼は離れたところのものを見通す千里眼だった。
まだ上手く使いこなせないけれど、そのうち遠くにあるものすらその場で解析できるようになるだろう。
それはともかくとして――。エリザはローブを立ち上がってローブをずぽっと脱ぎ捨てると、
「ええっと、魔力を吹き出し……、イメージを固める……」
と目を閉じてつぶやきながら、全身からぼうっと魔力を吹き出させた。
最初だからぎこちないけれど、体の表面に帯びた魔力がすうっと形を変え服に変化していった。
目を開いたとき、エリザはゴシック調の黒を主体としたドレスを着ていた。ところどころに赤い刺繍で細かい模様が描かれている。
「ほうほう。なかなかいいわね。イメージでデザインが変わるのは便利。――――どうかしら?」
くるっと一回りしてリオネルを見上げてどや顔を決める。
「ああ、よく似合う。可愛いよ」
そういいながらリオネルは内心でつぶやいた。
内面は大人精神だけど、見た目は幼女である彼女に対して下手に褒めすぎるとロリコン認定されるよね。
そんなことを考えているとも知らず、エリザは御機嫌で、
「便利なやり方ね。これで服いらずっていうかクローゼットも必要ないし、いつでも好きな服を着られるってわけか」
「ああ、でも注意がある。魔法無効化空間だと維持できないからね」
「それってつまり裸になっちゃうってこと?」
「そう。だから服は服で用意しておいた方がいい――ので、大人の身体に戻ったら街に買い物に行こうね」
確かにそうだろう。そして魔法無効化空間はダンジョンにもあるし、アンチマジック・サークルの防御魔法でも同じことになるわけだ。
「なるほど。わかったわ。……それじゃ、早く大人に戻らないとね」
エリザはそういうとリオネルに駆け寄って、幼い身ながらぎゅっと抱きついた。
急にどうしたんだろうとリオネルがエリザを見ると、エリザはにっこり笑って、
「遅れちゃったけど……。リオネル。ありがとう。大変なことになっちゃったけど、私、ずっと貴方と一緒に生きていきたい」
思わずリオネルはほほを赤らめて、
「ああ、僕も愛している君をこうして抱きしめることができてうれしいし、これで君と結婚できる日も遠くないかな」
エリザは驚いて、
「え? 結婚できるのかな。だってアンデッドって……。悪魔に誓いをたてるの?」
「いいや違うし、教会で大丈夫だよ。別に神を冒涜しているわけでもないし」
「それは私もだけど。……今の私はホムンクルスなんでしょ」
「肉体はそうだね。でも、本質である魂は僕と一緒でアストラル界にあるから大丈夫。教会側に人間でないことがバレなければ問題ない。……ああ、ただ、僕たちに子供はできないだろうな」
「そっか。それは残念ね……」
「子供のことはまた考えよう。それより次はその魔眼と魔力の使い方に慣れながら、早く大人になることを考えよう」
「うん!」
ともあれ、リオネルはニコニコと満面の笑みを浮かべながら、エリザの髪を撫でつづけた。
彼女の髪は元の栗色ではなく、銀色になってしまっていた。それでも似合っている。それにどんな色をしようと、同じエリザの髪ならば、リオネルにとって愛おしいことに変わりがない。
エリザは髪を撫でられながらも、こうして無邪気にいられるのも幼女体の間だけかもと思いつつ、再び抱きしめることができる喜びに浸っていた。
もともと回復魔法と水魔法に適性のあったエリザだったが、ホムンクルスの肉体を得た今は全属性に適性があった。ちなみにアンデッド・キャスターであるリオネルも同じである。
しかも二人とも魔力で肉体ができているようなもので、詠唱など必要なかった。
幸いに魔法の知識もあの魔法陣の力によってリオネルは身に付けており、その知識をエリザに伝授する日々が続く。それにエリザは魔眼で魔法の術式も解析することができたので、習得は早かった。
さらに魔力で服を作る要領で、武器や防具を魔力で作ることもでき、力の練り込み方でその強度が変わることもわかった。
将来はどうなるかわからないが、二人とも武器を用いての戦い方と、魔法での戦い方の両方を身に着けることにしている。練習台は、ダンジョン内にたくさんいるから困ることはない。
ダンジョンの浅い層へ転移し、そこから戦闘訓練をつづける日々が続いた。結果、魔力結晶も入手できるわけで、エリザも成長できる。一石二鳥だ。
そして、ようやく10歳くらいの大きさになったある日、ダンジョンの中層で二人は冒険者に出会った。
◇◇◇◇
「――止まれ!」
中層以下の石組みの回廊で、その冒険者たちとリオネルとエリザは遭遇した。
こんなダンジョンの中だ。明らかに警戒されているのは当然と理解しつつも、あたかも魔物を見るような目で2人を見てくる冒険者に内心で戸惑っていた。
しかし冒険者にとってみれば、自分たちはランタンを持って探索をしているわけで、突然、暗闇からぬぅっと現れた2人は見た目こそ人間だが魔物が化けているとしか思えなかった。
暗闇でも普通に見えるのが当たり前だった2人にとって、ランタンなどというものは不要のものだったわけだ。
それが他の普通の冒険者からどう見えるかということには気が回らなかったのである。
「待ってください。俺たちは魔物じゃありませんよ」
「明かりを持たずに暗闇を歩く奴をどう信じろと。しかもまだ若い男に少女の2人だけ。怪しいじゃないか」
このパーティーのリーダーである前衛中央の剣士ドルクが、2人に剣を突き付ける。
「僕もこの子もそれなりに強い魔法使いですから。それに暗視ポーションを飲んでるから暗闇でも平気なんですよ」
リオネルが1本のガラスの細ビンを取り出して見せつけた。
「そんなもの聞いたことがねえ」
「それは当然です。僕の発明品ですから」
「……お前、何者だ」
「流浪の錬金術師ですよ。――ほら、一本差し上げましょう」
答えながらリオネルが手にしたポーションを放り投げると、それをドルクが受け取った。そのまま後ろに放り投げると、それを背後にいた魔法使いのシルビアが受け取り、じっと食い入るように見つめた。
「毒性はないわ。……ちょっと飲んでみていい?」
シルビアの問いかけに、リオネルとドルクの返事が重なる。
「ああ」「ええ」
リオネルは自分のポーションだから、ドルクは正体不明のポーションだからリーダーとして返事をする。
「それじゃ、もしものときはシルフィちゃん。よろしくね」
隣の女性神官にそう言うと、シルビアは瓶のふたを開けて少量を手の甲に垂らし、それをペロンと舐めた。
「お、おお、おおおおー! ……おおお? おお」
興奮してあげた声が尻つぼみになっていく。あまりにも量が少なかったために、短時間の効き目で終わってしまったのだ。
「すごいよこれ! 真昼間みたいによく見える。これもらっちゃっていい?」
リオネルは肩をすくめ、「ああ、いいよ。1本で効果はおよそ6時間だから注意してください」と言うと、ようやくドルクが剣をおさめた。
「ふん。……そうか。悪かったな」
まだ警戒はしているだろうけれど、とりあえずは嘘ではないとわかったらしい。
ダンジョン内では魔物だけじゃなく、同じ冒険者同士も警戒対象だ。見つけた財宝を奪い合ったり、成果を取り合い、時には他のパーティーに襲い掛かり、殺しあうこともあるのだ。
とはいえドルクたちは6人で人数的には優位にいる。
リオネルはドルクに向かって言った。
「ま、仲良く一緒に行こうってわけじゃないんです。お互いに不干渉でいいじゃないですか?」
襲われても撃退することはできるが、そのつもりはない。それに同行しようとか言われても困る。
「わかった。名前は?」というドルクに名前を教えると、向こうもそれぞれ名乗ってくれた。
リーダーのドルク、魔法使いのシルビアに神官のシルフィ。そして大盾を持った大柄の男がダニエル、男性剣士のレイモンド、最後にひげもじゃの男がレンジャーのネルだという。
バランスの取れたパーティーだ。見たところ実力もあるから、ここのダンジョンの深部でもそれなりに探索ができそうだ。
「こんなところじゃ、どうにも警戒せずにはいられねえ。だが、町で出会った時は一杯飲もうぜ」
お詫び代わりのつもりなのだろう。ドルクはそんなことを言って、他のメンバーを連れて歩き去っていった。
「……驚いた。こんなところにまで冒険者が来てるのね」
彼らの背中をじいっと見つめるエリザの横顔を見て、リオネルがクスッと笑って、
「彼らはなかなか強そうだ。……そういえばまだ町に行ってなかったね。今度、行ってみようか」
「うん」
うなずいたエリザの笑顔を見て、リオネルはもっと早く町に連れて行けばよかったと後悔した。
服を買うって言っておいて、ずっと連れて行ってなかったから。……いや、すぐに小さくなるから、大人の身体になってからにと思っていたのだった。
それでもと思いながら、隣のエリザを見る。この笑顔をもっと見たいんだよ。
そして、ドルクたちが進んでいった方向を見る。……彼らはいったい何を求めて来たのだろうか。
それが妙に気になった。
◇◇◇◇
それから3日が経った。急ではあるけれど、リオネルはエリザの喜ぶ顔が見たくて町に出かけることにした。
部屋には隠蔽用の魔法を張ったまま、転移魔法で入り口近くに移る。
外の匂いに導かれるように、2人は廃坑ダンジョンの出口に向かって歩いて行った。
暗い通路の先に明かりが見えた。思わず足が速くなる。
「わあ」
外の季節は夏の入り口のようだった。目の前の森から、爽やかな風に乗って木々の香りが運ばれてくる。
いざこうして外に出てみると、随分と長く時というものが止まっていたようだ。
リオネルは今さらながらにそれに気がついた。エリザはうれしそうに目を輝かせている。
エリザがトトトっと軽やかな足取りで太陽の光のもとに走り出た。
空をまぶしそうに見上げて「いい天気……」とつぶやき、くるっと振り返った。
「リオネル。早く!」
リオネルは苦笑しながら自らも外へ足を踏み出した。そして、緑の鮮やかな林道を、2人は仲良く連れ立って歩いていった。
ダンジョンから一番近くにあるのは、ダブリンという町だ。
もともと採掘した鉱石を一時的に集積する場としてできた町で、鉱山が活動していたころには賑やかだったけれど、閉山してしまった後は一気に寂れていった町でもある。
幸いに今では廃坑がダンジョン化したため、冒険者が訪れる攻略拠点の街へと変貌していたが、それでもかつての賑わいは取り戻すことができなかった。
ともあれ町の入り口で何ごともなく税を払って中に入り、2人並んで通りを歩く。
まずは買い物の資金ごしらえのために、どこかの店にポーションを売りに行く予定だ。
商店が立ち並ぶ大通りはさすがに賑やかだった。
見たところ武具を売っているお店が多いだろうか。あとは雑多な品々を売っているお店が多い。
ようやく見つけた薬屋で魔法薬を買ってくれないかと持ちかけてみた。
店主の老婆が、リオネルの魔法薬を光に透かして、じいっと見つめてから大きくため息をついた。
「ハイポーションかい。そんな上等なものを買い取れるほどのお金はないよ」
しまった。金策に走ろうと質の良いものを作り過ぎた。
リオネルは男爵家とはいえ貴族の一員だった。その自身をして、ハイポーションなど見たことがなかった。
当然のことながらその価格も知らないわけだが、王都の価格で1本につき金貨50枚が相場であったのだ。
ノーマルのポーションにも上中下と等級があり、たいていのケガはそのどれかで事足りる。
ハイポーションだと、欠損した部位が再生するレベルである。作るのにも希少な素材、そして、腕の良い錬金術師が必要だ。
こんな田舎の店では、需要があってもほとんどの場合手が出せない金額になってしまうだろう。
けれどもどうにかして買ってもらわないと困る。
「すみません。実は今お金がなくてですね。できれば薄めて使ってもらうってことで、買い取ってくれると助かるんです」
「でもね。そんなに支払えないよ」
「買い取ってもらえるだけでいいですよ」
「……そうかい。ま、そんな事情じゃあしょうがないね。金貨10枚くらいしか払えないけど、それでもいいのかい?」
「ええ。かまわないです」
「それじゃ悪いから、そうさね……。ちょっとまってな」
その老婆はそう言うと、カウンター前に2人を残して奥の部屋へと入っていった。扉越しに「こっちだったかね」「ああ、ここか」などと声が聞こえる。
しばらくして老婆が小さな箱を持ってきた。
「これは?」
「前に冒険者がポーションの代金代わりに置いて行ったものさ。開けてごらん」
カウンター上に置かれたその箱を、慎重に開けてみるとそこには1つの指輪が納められていた。赤い宝石がはめ込んである。
「魔力貯蔵の指輪だよ。金貨にして10枚くらいになるんじゃないかね」
魔力貯蔵の指輪。錬金術の知識をも身に付けているリオネルにとって、それほど珍しいものではないけれど、ダンジョン産となれば話は別だ。
リオネルはありがたく貰うことにした。
そのほか、お店に並んでいた魔法薬類を2本ずつ、――今後はこれを基準に売るためのポーションを作るつもり、そのほか、エリザが欲しがった髪留めのリボンも代価にお願いをした。
さっそくそのリボンでエリザの髪をまとめてあげると、老婆は、
「よくお似合いだよ。……あんたの妹かい?」
と尋ねた。リオネルが答えるより先に、エリザがうれしそうに答える。
「違うわ。婚約者よ」
老婆はじろりとリオネルを見る。「ふうん」
「ま、事情が……」
と言葉を濁すと、
「わたしゃ、立ち入らないよ。詮索をしないのが冒険者のルールだろうし、誰にも言いたくないことくらいあるさ。それに貴族なら別に不思議じゃないだろ?」
「あはは。まあ、その……」
「だからそれ以上はいいさ。あんたらが貴族かどうかなんて、わたしゃしらないね。
それにこんなに質の良いポーションを売ってくれるんだ。こんな冒険者ばかりの寂れた田舎町だけれど、たまには顔を出してくれるとうれしいさね」
なるほど。何かあったときのために顔つなぎをしておきたいのだろう。
そう考えたリオネルは、「ええ、その時はまた顔を出しますよ」と頭を下げ、手を振るエリザを連れて外に出た。
一時はどうなることかと思ったけれど、金貨10枚で売れて良かった。とりあえず服ならば充分に買うことができる金額だろう。
ずっとダンジョンにいたせいか、こうして町中を歩いていると、ひどく懐かしい気持ちになる。立場も場所も違うけれど、かつての自分たちの暮らしていた屋敷にもどこか似ているような、そんな温かみを感じるのは気のせいだろうか。
父も母も、兄たちも今はいない。家族は誰もいなくなってしまったけれど、リオネルにはまだエリザがいる。
何かを感じたのか、エリザがふとリオネルを見上げて微笑みかけた。
その微笑みを見てリオネルは思う。僕たちは、あのゆったりとした陽だまりのような生活に戻ってきたんだなと。
並んでいるお店をながめ、次はどこのお店に行こうかと考えたときのことだった。
「――貴様。何者だ」
鋭い女の声にふりかえると、そこにはフードを深くかぶった女性と、その背後に控えている3人の男女の冒険者がいた。殺気を込めた目でにらんでいる。