6 血の衝動

「じゃあ悪いけど、君を解放するのはサルマリドに行ってからにさせてくれ。向こうに着いたら、君の意向を聞いて、希望する教会へと連れて行ってあげる」
「……いいのですか? もとより私はもう一人ですから助かりますけど」

 確かに奴隷にそこまでする人はいないだろう。そもそも解放するなんて人も滅多にいないだろうし。
 ただなぁ。元王女が厄介ってことよりも、まず第一に日本に奴隷なんていなかったからなぁ。社畜やブラック企業なんて言葉はあったが、それでも相談窓口とかがあっただろうし公的な支援体制も不十分ながら存在していた。
 ところが、ここでは奴隷の存在そのものが公的に認められている。俺としては、エルミナ、もといミナにどう接して良いのかわからないのだ。
 このデルモントの身体なら、高難度イベントやダンジョンで無い限りは生き抜くことができるだろうし。

 初心者用キャンプ道具一式には、その時の人数分の寝袋が自動的にセットで付いてくる。現実になった今は物理法則というか、ある種の物質創造になるだろうけれど、その機能が働いていて、ちゃんと2人分あった。
 一つをミナに渡し、使い方を説明する。
「狭いけれど、今晩は我慢してもらいたい」
「はい。わかりました」

 幾分かホッとしているようなので、まあ大丈夫だろう。
 話し込んでいるうちに、次第に薄暗くなってきた。時間は18:00になっていて、急におなかが空いてきた。
 何か食べ物を取り出そうと思ったと同時に、ミナのおなかが小さく鳴り出した。
 恥ずかしそうに「すみません」という彼女に、
「俺もおなかが空いたよ。ちょっと待ってて」
と言ってアイテムボックスの一覧を呼び出したときだった。

 突然、心臓が大きくドキンと脈動した。
「なんだ?」
 思わずそう呟いたが、急速に意識が混濁していって自分の声が遠くなっていく。その場に膝をついてしまう。息ができなくなり、胸の鼓動がどんどん大きくなっていき、全身に痛みが走った。
「ぐわあぁぁぁ」

 視界が真っ赤に染まり、夢と現実を行き来するように意識が薄れたり取り戻したりする。まるでカラー調整が赤に振り切れたテレビを見るように、真っ赤に染まった視界が写ったり途切れたりしている。俺の身体が、俺の意思を無視して勝手に動いている。
 ふっと意識が薄れ――。「ああ、おやめください!」――意識が戻った時、俺を見ているミナが金縛りに遭ったように固まっていて――――「そ、そんな」――気がついたらミナを抱きしめていて、彼女の濃密な匂いが鼻にあふれ――――夢の中で、すごく美味しい何か・・を飲み、その旨みが熱となって俺の全身をほとばしった。「あふあぁぁ! ――うぐっ。うぐぅぅぅ。あ、いや。…………っあ、あああ―――っ」官能に染まった女の声が聞こえる。

 ――頭の内で誰かが言った。「――血は生命。生命は血――――。

 次の瞬間、首筋にチクリと刺激が走り、そこから何かが吸い出される。全身に快感が走り、思わず手に力が入る。

 首から何かが吸われていく。ものすごい快感。股間が猛っていて、絶頂の瞬間がずっと続いているような感覚。ほとばしっているあの瞬間と同じように、俺を構成する決定的な何かが外に出て行き、すべてがはじけ、開放されているような快感。
 悦楽に支配され、より多くの何かを吸おうとして止められない。ああ。すべてが――――とろけていく。

「――はぁっ。はぁっ。はぁっ」
 ミナの首筋から唇を離したところで俺は意識を取り戻した。
 ほぼ同時に、俺の首筋に吸い付いていたミナも、はじかれたようにチュポンっと唇を離し、そのままビクンビクンと俺の腕の中でのけぞり始めた。ひたすら「あぁ!」と絶叫しながら、両手で何かをかきむしるように振り回し、長い髪をその都度振り乱れさせた。
 狂おしい快楽に襲われているような赤く染まった顔。その目尻からは涙がこぼれ、大きな胸が激しく揺れ、腰や足を妖しくくねらせている。

 何が起きた。いったい俺は、何をした?

 激しく痙攣を起こしているミナが倒れないように強く抱き留めていると、「ひ、ひ、ひっ、ひぐっ、あはあぁ――っ」ひときわ大きく弓なりにのけぞった。
 白い喉がのけぞり長い髪がふぁさっと広がる。もの凄い力が全身に入っているようで、ガクガクと頭が揺れ、張りつめた身体が引きつるようにわなないていた。
 一呼吸置いて急にプツリと脱力する彼女を、あわてて腕に力を入れて支える。

 ミナを抱き留めたままで膝をついたところで、俺は吸血鬼のフレーバー・テキストの一節を思い出した。

 ――血の衝動。
 満月から次の満月になるまでに、貴方はほんの少しでいいから血を飲まなければならない。血は人のものでも動物のものでも、同族のものでもかまわない。しかし、そうしなければ貴方は血の衝動に取り憑かれ、近くにいる人に襲いかかるだろう。
 そして、貴方の力を引き継いだ吸血鬼が1人増えるのだ。

 ……やばい。やっばい!

 ゲームでは何の効果もなかった雰囲気作りのためだけの説明文だったはずなのに。この世界では現実に起こりうるの、か。

 やっちまったと悟った瞬間、全身が熱を帯びて嫌な汗がじわりと出てきた。
 おそるおそる腕の中でぐったりしているミナを見ると……。もともと色白だった彼女の肌は、少しだけど、より白くなっている。そして逆に赤さを増した唇から、2本の牙がチロリと覗いていた。

エルミナ・ハーカー・クラリモンド
 LV:6/100 ジョブ:賢者の弟子
 隷属主 デルモント(血の契約)

「やっべぇ」

 思わずつぶやいた俺の言葉に、腕の中のミナが意識を取り戻した。
「あふぅ」
 色っぽく息を吐くと、目を開き、俺に抱き留められていると悟った瞬間、「きゃっ」と短く叫んで俺の手を振りほどき、そのまま尻餅をつきながら少し離れていった。

「あ、ああ。ああ」
と声にならないでいる彼女に、俺は内心でどうしようと思いながら告げた。

「悪かった。……どうやら今晩は満月だったよう「い、やあぁ……」」
 あれほど白かったミナの顔が、一瞬で真っ赤になっている。
「すまん! 血を吸っちまって、君も、その、吸血鬼になっちゃったみたいだ」
 あわてて謝る俺だったが、彼女は聞いてくれていない。
 少し涙目になって顔を横に振り続けて、
「いやぁ。いやぁ。ああぁ……、あんな、あんな! はしたない姿を! なんで私! いやぁぁ!」

 狂乱したように叫んでいるミナに駆け寄って、その左右の手首を握りしめた。
「頼む。落ち着いてくれ」
 声を掛けると、抵抗を封じられたミナと視線が一瞬あったものの、彼女はすぐに顔を俯かせた。

「悪かった。忘れていたんだ。吸血鬼の習性を」
「…………い」
「うん?」
 そう聞き返した途端、彼女はがばっと顔を上げ、紅潮し涙のにじむ目で俺を下からキッとにらんでいた。
「責任を取ってください!」

 ここで視線を逸らしてはいけない。胸が激しく脈打っている。これって、やっぱりあれだよな。むしろ、こんなんでいいんですか、俺なんかでいいんですかと脳裏にそんな考えがよぎった。

 俺は彼女の目をまっすぐに見つめ返した。
「もちろんだ。俺に責任を取らせてくれ。もう君を手放すつもりは――ない。だから、俺に付いてきてくれ。一生」

 さっきまで俺を睨みつけていたはずのミナは、少し表情を緩めて、
「……はぁ。よかった」
と小さく安堵のため息をついた。

 この反応、想定外。
 ええっと?

「あの……、今のプロポーズのつもりだったんだけど」
「え? プロポーズですか? それは一体どのようなものなのですか?」
「……結婚の申し込み」

 やべぇ。王女の常識って奴は、俺の常識と随分かけ離れてるみたいだぞ。