12 夫婦の夜

2021年7月9日

 

 〝フルール〟は、シックな雰囲気のお洒落なレストランだった。

「予約はしていないんだが、席は空いているだろうか」
 白と黒の制服を着た壮年の店員が、恭しく一礼し、
「はい。本日はまだ余裕がございます」
「今日は記念日なので、できれば少し静かな席だとうれしいんだが」
「かしこまりました。それではご案内いたします」

 店内は、6つほどのテーブル席が並んでいたが、優美なローズウッドのパーティーションによって巧みに区切られていて、落ち着ける雰囲気になっていた。
 さらに個室が2つあるそうで、貴族や裕福な商人がよく利用しているらしい。

 案内されたのは壁際の一角で、窓から外を眺めることができる席だった。
 空は澄んでいて妙に優しげな色をしている。家路を急ぐ人たち、街灯の魔導ランプがぽつぽつと点りはじめていた。

 席に着くとすぐにメニューを持って来てくれた。茶色の革張りのメニューを開く。
 おおっ、コース料理も選べるのか。それも肉メイン、魚メインでそれぞれS・A・Bと3段階の料金のコースがある。

「ミナは肉と魚とどっちが好き?」
「どちらも大丈夫ですので、デルモント様のお好きな方で」
「じゃあ、この――」

 傍にいるウェイターの人に肉料理のコースAでメインは2皿。フォアグラのソテーとマッサカ牛のフィレ・ステーキだけれど、その1皿目をイッセーエビとホタテのソテーに変更してもらった。

 ファンタズマはゲームなので、同じ固有名詞の食材もあれば、名前をもじったものもある。名前から、どんなものか想像が付くだけでも正直ありがたい。

「飲み物はお任せで頼む。ただ最初だけはシャンパンでいいものを」
「かしこまりました」

 綺麗な一礼をしてメニューを受け取ったウェイターが、すっと歩き去って行く。

「なかなか雰囲気が良い店だけれど、こういう店も初めてかい?」
「はい。偶に外に出るときも、領主様の館で食事をしていましたので……。町中のお店は初めてで、なんだかワクワクします」
「ははは。それはよかった。……でも、普段はこんな立派なお店には来られないかな」
「それは大丈夫です」
「こういうお店の料理長はきっちりと修行を積んできたような人だろうけど、俺たちは旅人だから、基本的に宿の食堂になると思って欲しい」

 宿の食事も当たり外れがあるだろうからなぁ。ゲーム時代とは違うわけだし、それにも慣れてもらわないといけない。

「お待たせしました」
と、さっそくシャンパンを持って来てくれた。
 目の前で瓶の口に布を当て、ポンッと音を鳴らしてコルクが抜かれる。細長いシャンパンフルートに、淡い琥珀色のシャンパンが注がれる。透きとおるシャンパンの中を、グラスの底から細かい泡が上っていた。

 互いにグラスを持ち、
「ミナと結婚できたことを祝いたい。今日という記念日に乾杯しよう」
「はい。うれしいです」
「乾杯」「乾杯」

 小さく掲げて軽くグラスを当て、そっと口に付ける。ほどよく冷えたシャンパンはリンゴに似た酸味の爽やかなお酒だった。

 すぐに前菜として、3色のテリーヌとサーモンとアボカドのカルパッチョが出てきた。

「じゃあ、いただこうか」
「はい。美味しそうです」

 料理の質をみると、よくもまあ、おやじ亭の娘さんが知っていたなと言いたくなるほどレベルが高い。……いやいや。もしかすると、あそこの宿の料理も期待ができるのかも。ま、紹介してくれた娘さんに素直に感謝しておこう。

 そうやって料理を堪能していると、いかにも高級店ではあっても、少しずつお客さんが入ってきて店内のテーブルが埋まっていった。気が付くと、人々のさざめきと小さな食器の音が聞こえるようになっていた。
 ミナも満足している様子。少しは打ち解けてきたようだ。

 コースはスープ、そしてメインのイッセーエビ、口直しのソルベと続き、2皿目のメインのマッサカ牛のフィレへと進んでいく。

 この頃になると、さすがにお腹も満ち足りてきて、酔いも回ってくる。
 真っ白なプレートにマッサカ牛のフィレ肉が乗っている。ナイフをさすと、すっと肉が切れ、ほのかに中が赤く焼き加減はばっちりだ。
 口に入れると、上質な肉の旨みが口に広がる。サーロインと異なって蕩けるような食感ではないけれど、肉そのものを楽しむならばフィレの方が旨い。
 舌に残る旨みの余韻を楽しみながら、グラスの赤ワインに口を付けた。

 フルボディの赤。どこぞの公爵が自らの娘のために作らせたというワインで、通称〝セシリア〟
 独特の渋みが旨みとなって、思わずニヤリと口角を上げたくなる。

「旨い」

 余計な言葉は必要ない。ただこの一言だけあればいい。
 すると向かい側に座っているミナも、
「たしかにこれは美味です」
と味わっていた。

 デザートのピスタチオのケーキも美味しくいただいて、おなかが満たされた俺たちは良い気分のままで、お店を出た。

 すっかり日が暮れていたけれど、あちこちのお店からにぎやかな声が聞こえてくる。そんななか、ミナと連れ添って良い雰囲気のままで宿に向かう。
 おやじ亭に到着すると中から喧噪が聞こえてきた。ここでも随分とにぎやかなようだ。苦笑しながら扉をくぐると、一斉に俺とミナに視線が集中した。
 ミナを見て口笛を吹く奴もいたので、ミナがすっと俺の影に隠れた。そのまま娘さんから鍵を受け取って、逃げるように自分たちの部屋へと入る。

「たくさんの方に見られていました」
「色んな人ばっかりが集まる宿だし、ミナはお嬢様に見えるから。まあ、しょうがないね」
「見られ慣れているつもりでしたけど、さっきのはちょっと……」

 顔をこわばらせているミナに、俺は苦笑して、
「ミナは美人だからなぁ。でも、俺がいるから大丈夫だ」
「……デルモント様にそう言われるとうれしいですね」
 ちょっと微笑んだミナを見て、改めて彼女をしっかりと守らないとと思う。

 ドアがノックされた。
「あ~、お湯を持って来たぞ。ここに置いておくから、使い終わったら裏庭に流してくれ」
 おやじさんだ。お礼を言おうとあわててドアを開けると、すでに階段を降りていくところだった。
「おやじさん、ありがとう」
 曲がり角から、おやじさんが右手だけ出して手を振った。気にするなって事だろう。

 廊下に置いてあったお湯の入った桶2つを中に入れ、鍵を掛ける。

「さあて……」
 身体をふこうと言おうとして、ミナと2人きりであることを思いだした。どうやって身体をふく?

 俺がふいている間、廊下で待ってもらう? ダメだ。さっきの食堂で視線を集めたこともある。1人で廊下になど立たせられない。
 仕方がない。これしかないか。
「あ~、悪い。ミナ。俺が身体をふきたいから、後ろを向いていてもらえるか」
「えええ! 外に出ていますよ」
「ダメだ。それは却下。……とはいえ俺も恥ずかしいから、見ないでいてもらえると助かる」
「それは……。わかりますけど。私も恥ずかしいです」

 そんなことを言いながらも、ミナは部屋の隅に行くと、こちらに背を向けた。
「わるいね」と声を掛けながら、急いで服を脱ぎ出す。サーコートを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、タイとベルトを外してブラウスのボタンを外す。脱いだ服はパパッとアイテムボックスに収納し、代わりに着替えのラフな服、村人の服をベットに置いておく。

 ミナがこっちを向いていないことを確認してズボンを下ろしてパンツを脱ぐ。すぐにタオルを桶に浸して絞り、それで顔から自分でふく。

 互いに気まずい空気の中、なるべく音を立てないようにと思いつつ、身体をふく音とタオルを絞る音が妙に響きわたる。
 とはいえ、ひととおり身体をふき終えて、新しい服に着替えたところで、重大なことを思い出した。

 クリーンの魔法があるじゃん。

 今さらかよっ。
 服や身体の汚れを落とす魔法で、いわゆるクエスト用の単発のネタ魔法だ。
 疫病の村というクエスト用の魔法だったから、すっかり忘れていた。あのクエストでは一定時間ごとにクリーンを使わないと、疫病のバッドステータスが付く仕様だったのだ。

 そんな魔法はなかったことにしたいが、これから野宿も増えるだろうことを考えると、言っといた方がいいか……。

「もう終わったから、こっち向いて大丈夫だよ」と言って、「実は……」とクリーンの魔法を教えると、ミナがプッと吹き出した。
「そんな便利な魔法があるのですね。……う~ん。そうですね。それではその魔法を私にかけていただけますか? その上で、私も身体をふきたいので、見ないでいていただけるとうれしいのですが」
「いやいやいやいや。その時は、廊下で番をしているよ」
「ふふふ。ありがとうございます」

 というわけで、ミナにクリーンの魔法をかけてから、俺は腰に剣をさして廊下に出た。
 ドアによりかかり腕を組む。背中のドア越しで、
「のぞかないで下さいね」
とミナが言うので、「わかった」とだけ言う。

 ミナの着替えは、昼間のうちに色々と買ってアイテムボックスに入れてある。彼女もアクセスができるから、自分で用意するだろう。
 さすがにランジェリーなどは、俺は見もしないで支払いだけしたが、彼女自身のことだし大丈夫だと思う。

 廊下の向こうの階段から、食堂の賑やかな声が聞こえる。それで背中のドア向こうの音は一切聞こえなかった。
 しかしだ。今日は結婚して一日目。いわゆる初夜である。
 今さらながらにその事実に気がついて、心臓がバクバク鳴っている。おいおい。ついに童貞卒業しちゃうのか。俺は。しかも、あのミナと。マジか!

 やっべぇ。俺、変じゃないよな。さっき身体をふいたけど、今のうちに自分にクリーンをかけておこう。
 っていうか。最初ってどうやればいいんだ。アダルトビデオにはお世話になってたけど、あれだってHシーンまでスキップしていたし……。やべぇ。難易度高すぎじゃね?
 どうやってエッチに持ち込むかもそうだけど、エッチも自信がない。っていうか、なぜ今、こんな大事なことに気がついた。俺ってやつは。

 1人悶々としていると、ドアの向こうから、
「……終わりました。どうぞお入り下さい」
とミナの声がした。気のせいか、こわばっているような。俺が緊張しているせいで、そう聞こえるのか。

 震えそうな手でドアを開けて中に入り、さっと鍵を掛ける。中は真っ暗だった。
 もちろん吸血種は夜目が利くので、暗い部屋でも中が見える。
 ミナは……、ネグリジェを着てベッドの前で、恥ずかしそうにたたずんでいた。
 首から肩までのなだらかな曲線。ネグリジェに隠されてはいるけれど、大きさは隠せていない胸。心なしか下着はしていないように見える。
 滑らかなネグリジェの生地の裾からは、ほっそりとした脚がのぞいていた。

「ミナ」とかすれた声で名前を呼ぶと、ミナは赤く染まった顔を少し俯かせて、
「デルモント様。我が王家には、初夜には特別な挨拶をすることになっています」

 思わずゴクリとつばを飲みこむ。顔を上げたミナがチラリと俺の方を見た。けど恥ずかしそうに、すぐに視線を逸らして、また俺の顔を正面から見る。
「ふ、ふつつかものではありますが、よろしくお願いします」

 おおお! まさか、こっちの世界にもその挨拶が! しかし、今のミナの姿でそれを言われると、すごいな。こう。色々とくるものがある。

「お、俺の方こそよろしく頼む」
 そんなことを言ったはいいが、近寄れずにいる俺の前で、ミナがするりとネグリジェを床に落とした。
 ミナは下だけ身につけていた。暗闇の中で、白い肌が浮き上がるように見える。形のよい乳房を両の手を交差して隠している。
 まるで美の化身のような姿は、ひどく神々しく見える。

 俺の視線に気がついたのか、ミナは恥ずかしそうに微笑んだ。
「恥ずかしいですが、お抱きくださいませ。貴方様の妻となった私に、貴方様のものだと証をくださいませ」
「あ、ああ。ミナ。綺麗だ」
 もうすでに頭が真っ白だ。夢見心地のままでミナの前まで近寄る。力が入らない手を彼女のほほに添えて、そっとキスをした。
 こわごわと彼女の身体を抱き寄せると、彼女の匂いがした。彼女が耳元で祈るようにささやいた。

「――その、どこにも行かないでください。もう1人にしないでください」

 その言葉、その重みに俺ははっとした。ああ、そうか。彼女はたった1人の生き残り。今まで当たり前にいてくれる家族を、突然失った1人の女性。
 奴隷に落ちて、俺が主人となって、最上位の契約である血の盟約までしてしまったものの、それでもまだ彼女は不安なのだ。
 さっきまでは、そんな素振りを感じることは無かったけれど、積極的に結婚を勧めてきたのも不安の裏返しだったのかもしれない。

 俺の腕の中にいるミナ。しっかりと立っているようでいて、不安に取り残された女性。
 ああ、やっぱり俺は女性の扱いがダメだな。
 彼女の不安を読み取れずにいた。だが、俺は彼女と一緒に生きたいと思う。たとえ元の世界に戻る方法が見つかったとしても、その時は彼女を連れて行くでもいいし、こっちの世界に残ってもいい。

 まだ出会ってから日もない。お互いのことをわかっているとは言えない。
 けれど、それならばこれから知ればいい。たったそれだけの事だ。

「俺がミナを1人にすることなんて無い。大丈夫だよ。……だから君を抱く。2人で一緒に生きていくっていう誓いを、互いの身体に刻もう」
「デルモント様……」

 暗闇の中で再び交わしたキスは、先ほどよりも蕩けるようで、俺とミナは、ぎこちなくも幸せな記憶とともに結ばれたのだった。