「ふんふんふん……」
助手席で春香が機嫌良く鼻歌を歌っている。
五月の黄金週間。バイトのシフトでどうにか二日間の完全休日を得たので、一時、実家に戻っている最中だ。
高速道路の渋滞を見越して、月曜日のバイトが終わったら早めに就寝し、火曜日の夜中から出発した。
とはいえゴールデンウィーク三日目の今日は、さすがに下り方面の渋滞は緩和されていた。
今は朝の7時30分。高速を走っているうちに朝日が昇っていた。
「もうすぐで出口だね」
と春香は言いつつ、俺にサンドイッチを手渡してくれた。
朝早くにコンビニで買ったサンドイッチをほおばりながら、出口まであと3キロの標識を過ぎたので、左のレーンに移動しておく。
お義母さんが気にはなったものの、なんだかんだやっているうちにあっという間に4月が過ぎてしまった。
もちろん春香は毎日電話をしていたので、お義母さんが変わりなく過ごしていることはわかっている。
高速道路の出口が見えてきた。
俺の運転する車は高速道路から下りて、出口の料金所へと向かう。
「お母さん元気かなぁ」
と外の景色を見ながら春香がつぶやいた。
「大丈夫さ。毎日、電話してるんだろ?」
「ん~。そうなんだけどね。心配は心配なんだよね」
「じゃあ早く会えるように、真っ直ぐ帰るか」
「うん!」
車は朝のバイパスを通り、一路、育った町へと走って行った。
――――。
「おかえり」
先に自宅に顔を見せてから春香の家にやってきた俺を、お義母さんが笑顔で迎えてくれた。
「もう。折角の連休なんだから二人で旅行でも行けばいいのに」
「あはは。まあ、それはそのうちに……」
俺はお義母さんと一緒にリビングに向かう。
「おっかえり!」
リビングではすでに春香がソファに座って寛いでいた。
苦笑しながら、俺はその隣に座る。
お義母さんが冷茶を持って、向かいのソファに座った。
「あ、ありがとうございます」
礼を言ってから冷茶を受け取ると、お義母さんが、
「バイトは良いところを見つけたみたいね。……サークルには入らないの?」
「ああ、本当はどこか良いところがあれば入りたいんですけど。……ほら、去年、悪質なサークルの事件があったから」
そう。本来はサークル活動で知り合いの幅を広げたり、色んなことに経験するのがいいんだけれどね。
そこに水を差すのが悪質なサークルの存在だ。狼どもの群れに春香を入れるわけにはいかない。
「五人集まれば、自分たちのサークルを設立できるんですけどね」
「そっか。確かに、あの事件はひどかったわ。……春香はどう? もう生活に慣れた?」
春香は冷茶を一口飲んで、にこっと笑う。
「大丈夫だよ。お母さん。夏樹と一緒だから」
お義母さんが微笑むと、
「この子ったら、本当に夏樹くんばっかりなのねぇ。でも、あなたもちゃんと夏樹くんを支えないとダメよ? 守られるばかりじゃなくて、隣に立てるようにならないとね」
「うん。今ね。お財布握ってるの。……あ、胃袋もか」
と、春香がピースすると、お義母さんが、
「……ふふふ。順調に夫婦になりつつあるわけね」
なぜか気恥ずかしくなった俺は、ポリポリと頭をかいた。
――――。
春香の家のお仏壇でお義父さんにご挨拶し、一息ついてから裏山のお寺にお墓参りに行った。
帰りにお寺の駐車場に停めた車のところへ戻る。
「ふふふ。夏樹くんの運転の車に乗ることになるなんてね」
お義母さんが笑いながら、後部座席に座った。
その隣には春香が座っている。
「うん。若葉マークと思えないくらい、運転が上手なんだよ」
「へぇ」
キーを回しエンジンを掛け、
「じゃ、行きますよ」「うん」「はい」
ゆっくりと左右を確認し、車を発進させる。連休だが午前中なので、まだ人通りは少ない。それでもどこから自転車に乗った小学生が飛び出すかわからないから、慎重に運転する。
お義母さんが、
「ね。このままどこかお昼食べに行こうか?」
「いいですね。……どこかあります?」
「ちょうど良いから、隣の町までお出かけしようよ」
その口調が春香そっくりで、思わず笑いがこみ上げてくる。いやちがうな。春香がお義母さんにそっくりなのか。
俺は、車を運転して住み慣れた町を通り抜け、バイパスに入り隣町へと向かった。
お義母さんの指示で、バイパスから駅前に行く道を通り抜け、車は一路、海岸沿いの道へと向かっていく。
「あ、そこ。そこを右に」
指示通りに車を右折させてバイパスから出ると、車は山に向かう道に入った。
「あのレストランよね?」
春香が何かに気がついたようで、指を指している。
お義母さんが、
「そうそう。あそこよ。……夏樹くん。まっすぐ道なりにね」
「はい」
大きく道なりにカーブしていくと、左手にちょっとお洒落なレストランが見えてきた。
看板には「mare d’oro」と書かれている。
「マーレドーロ? 黄金の海?」
そうつぶやくと、お義母さんが、
「あら? 夏樹くん。もしかしてイタリア語もできるの?」
「いやいや。いくつかの単語を知ってるだけですよ」
「へえ。それでも凄い凄い」
車を駐車場に止めて降りると、海風が俺を包んだ。海を見ると、今日は風が強いみたいで、白波が立っている。防波堤ブロックに波が砕けてしぶきを上げている。
「……夏樹くん。行くわよ」
お義母さんの声に我に返る。
「ああ。すみません。今行きます」
入り口のガラスのドアを開けると、カランカランとドアベルの音が響いた。
「いらっしゃいませ」
30代の落ち着いた感じの女性がやってきた。青と白のボーダーの制服がよく似合っている。
店内は、ゴールデンウィークの昼下がりともあり、四組のお客さんが思い思いに過ごしている。
俺たちは窓際のテーブル席に案内された。
ガラスを通して広い海が見える。白いクルーザーが海を走り、より遠くにはいくつかの漁船が浮かんでいる。海の向こうには霞んで湾の向こうの半島が見える。
「いい景色ですね」
「でしょ?」
お義母さんがうれしそうに笑った。春香もえっへんと胸を張っている。
「春香は来たことあるの?」
「うん。昔ね。私の誕生日のお祝いに家族で来たんだよ」
俺はメニューを広げながら、
「ね、春香のおすすめはどれ?」
ときいた。イタリアンのトラットリアのようで、前菜、パスタ&ピッツァ、肉・魚の料理、そして、ドルチェとある。
春香がニコニコしながら、
「えっとね。私はね、ボンゴレロッソかアラビアータが好きかな。でね。ドルチェはなんと言ってもティラミス! すっごくおいしいんだよ!」
と色々と教えてくれる。お義母さんが微笑みながら、
「ランチコースにしようかと思ったけど、単品にしようか?」
と言うと、春香が悩み出した。
「う~ん。う~ん。ランチのコースも捨てがたいね」
うなっている春香のそばに、さっきの女性の店員さんが笑いながら、
「ふふふ。ありがとうございます。大丈夫ですよ。今の期間限定ランチコースはいくつかのパスタとドルチェから一品を選ぶスタイルですから」
とやってきた。
それを聞いた春香が満開の花のように笑顔をほころばせると、
「じゃあ、私はそれにするよ」
「夏樹くんもいいかな? それで」
「はい」
店員さんが、
「では、ランチのコース三つでよろしいですか?」
「ええ。お願いします」
結局、俺と春香はスパゲッティ・アラビアータ、お義母さんがカルボナーラ。ドルチェは三人ともティラミス。ドリンクは俺がカプチーノ。春香がマキアートで、お義母さんがブレンドコーヒーだ。
店内には、落ち着いたジャズ。……いや、これはボサノヴァだな。昔、ブラジリアのバーで聞いた覚えがある。
まるで穏やかな木漏れ日が揺れている様子をイメージさせるようなボサノヴァの調べは、この海を望む明るい展望レストランにはピッタリだ。
そっと店内を眺めると、どうやら外のテラスにも席があるようだ。ただ今日は風が強いみたいなので、店内の方がいい。
「お待たせしました」
俺と春香は赤いトマトソースのパスタに、ところどころオリーブの実が入っている。一方でお義母さんのはクリームパスタだ。
「「「いただきます」」」
フォークでパスタをクルクルと巻いて一口食べる。
ぷりぷりとした麺の食感に、トマトソースと唐辛子の辛さ、そして、オリーブが絡まって、口の中で渾然一体となって旨みがあふれてくる。
「……うまい」
「「でしょ~」」
いや、親子でハモらなくても。思わず苦笑すると、春香が、
「そうそう。さっき言っていたけど、マーレドーロってどういう意味?」
ときいてきた。
「ああ。イタリア語で黄金の海という意味だよ」
「黄金の海?」
「そうさ。……きっとサンセットの時、ここから見る海が黄金色に輝くんだと思うよ」
「ふうん」と言いながら春香が窓の外の海を眺める。
「夕日のオレンジ色に世界が染まって、その中でキラキラと黄金色に輝く海。想像しただけでも絶景だよ」
「……本当だね」
そこへ店員さんが空いたお皿を下げにやってきた。
「ふふふ。今度はぜひその時間帯にお越しください。……とてもきれいですから」
そういってお皿を下げると、
「すぐにドルチェと飲み物をお持ちしますね」
と下がっていった。
春香が外を見たままで、
「……今度は見たいな。黄金の海」
とつぶやいた。
お義母さんは微笑みながら、
「私も一緒にいいかしら?」
「ええ。もちろんです。……春香。今度、また来ような」
幸せそうな春香とお義母さんの笑顔を見ると、ここに来て良かったと思った。
春香。また来ような。
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