中体連の夏の大会が終わった。
俺たちの中学校は地区大会の準決勝まで行ったけど、そこで惜しくも敗れてしまった。春香たち女子のチームは2回戦敗退となった。
俺も春香の声援に3点シュートを量産したが、徹底的なマンマークを受けてしまってパスが通らなくなり、あと一歩のところで相手に及ばなかった。
こうして俺たちの中学の夏は終わり、次は高校受験の勉強の日々となった。
今は11月2日の夜。明日は文化の日で休日なので、俺と春香は、俺の家で合宿勉強をしている。
タイムリープする前は、春香は地元の高校へ、俺は隣町の寮制高校へと進学した。思えばあれが俺と春香の分岐点だったんだ。だが、今回は春香と同じ地元の高校への進学を目指している。絶対に春香と離れるつもりはない。
俺の部屋にテーブルを出して、それぞれ問題集をせっせとこなしている。すでに夕食を終えて交替で入浴した。春香はお泊まりの時のパジャマ姿になっている。どんどん体つきも女らしくなって、こうして一緒の部屋にいるとドキッとすることが多い。
下を向いて一心に問題集を解いていた春香が、とある問題で手が止まり、ふっと顔を上げた。
「ねえ。夏樹。ここ教えて」
「どれどれ。……ああ、これはね。ここがこうなって……」
春香にもわかるようにノートに順番に説明していると、春香がぐいっとのぞき込んで、
「うんうん。……うん。なるほど」
とつぶやいている。
さらさらと揺れる髪に、シャンプーのいい香りがする。目の前の春香の顔がにこっと微笑んだ。
「わかった。ありがと」
再び問題集に取りかかる春香を見て、俺も手元の数学の問題集に戻った。
普段から一緒に予習と復習をやっていて、ノートの取り方も予習ノートと復習ノートに分け、復習ノートはコーネル・メソッドに俺流の変更を加えた書き方を教えてまとめている。そのお陰か、バスケ部でありつつ、春香の成績は格段に良くなっている。
もっとも暗記物は限界があるようで苦労している。合わせて、英語は必ず毎日音読してスピーチの訓練もしているから、将来の海外旅行が楽しみだ。
時計を見ると夜の十一時だ。
「春香さ。ちょっと休憩にしないか?」
「うん」
そう言って春香は問題集から顔を上げて時計を見る。「もう十一時かぁ」
その手元の問題集は、おおよそ二分の一が終わったくらいだ。この調子だと一時頃には就寝できそうだ。
「下でコーヒーでも飲もうよ」
と俺は行って立ち上がり、春香に手を差し出す。春香は俺の手を取って立ち上がり、背を伸ばして「ふ~う」と大きく息をついて肩を回す。俺も肩をほぐして、部屋を出て階下の台所に向かった。
薄暗い廊下を二人で静かに歩き、キッチンに入って電気のスイッチを押す。パッと点いた蛍光灯の明かりにまぶしさを感じながら中に入る。
「冷蔵庫に母さんが甘い物用意してくれてるから出して」と春香にいいながら、俺はコーヒーポットを火に掛ける。棚からコーヒーミルとドリップの器具を取り出し、コーヒー豆をミルにかけた。ガガガっというミルの音を聞きながら、春香の方を見る。
春香は冷蔵庫からシュークリームを取り出してお皿に並べ、料理をするキッチンのカウンタートップに置いた。俺は、ドリッパーに紙をセットして、ミルで挽いたコーヒーを入れる。
お湯が沸いたので、ミトンで熱くなったコーヒーポットをつかみ、ドリッパーのコーヒー豆に少しお湯を落とし、そのまま20秒ほど蒸らせる。その間に春香が食器棚からカップを二つ持ってきて、電気ポットのお湯を入れて温めてくれた。
お湯をドリッパーの中央部から「の」の字を描くように少しずつ落としていくと、ふわっと蒸気と共にコーヒーの香りが広がって行く。春香は俺のそばで俺がコーヒーをいれるのを見て、
「ふふんふん」
と鼻歌を歌っている。俺はドリッパーに意識を集中しながらも、ちらっと春香を見るとなんだか楽しそうだ。俺はそっと微笑んでポットをコンロに戻し、ドリッパーをサーバーから取り外す。
二つのおそろいのカップ、――なぜか春香用のカップやら食器が用意してある、にコーヒーを入れて、「はい。できあがり」と言い、並んでシステムキッチンに寄りかかった。
「おいしい」
一口飲んだ春香がそう言って俺に体を寄せてくる。「ほら、シュークリームもあるぞ」といって春香にシュークリームを差し出すと、春香は受け取らずにそのままぱくりと食いついた。
「むひひひ」
とか言っている春香を見て笑いながら、俺もシュークリームをくわえた。コンビニで売っているジャンボシュークリームだけど、値段の割に大きくて俺は好きだ。
春香が、
「やっぱり疲れたときの甘い物っておいしいね」
と言うので、うなづいて「そうだよな」と言う。
夜中にキッチンの片隅で春香と一緒にコーヒーを飲む。二人きりの雰囲気に何とも言えない幸福感に満たされる。俺は、
「こうして春香といるのが好きだな」
と言うと、春香も「私も。すごい幸せ!」と言った。
コーヒーが飲み終わり、
「さ、続きをやって早く寝よう」
と言って、二人で部屋に戻る。
結局、思いのほかキッチンで時間を使ってしまったので、予定していた問題集が終わったのは夜中の一時半だった。
勉強で使っていたテーブルを折りたたんで部屋の隅に寄せ、布団を敷く。
二人で下の洗面所で歯磨きをして、交替でトイレに行った。俺はベッドに、春香は布団に潜り込む。「ふわぁあ」と大きな欠伸をした春香が、
「明日は何時に起きよう?」
ときいてきたので、
「9時くらいにセットしておくよ」
と言った。おおよそ7時間の睡眠だ。さっきトイレに行った際に、母さん宛に「9時まで寝る」とかいたメモをキッチンに置いてきてある。
春香が布団から、
「うん。わかった。……おやすみのチュー」
と言う。俺はクスッと笑って、布団から身を乗り出していた春香に軽くキスをする。
春香はうれしそうに布団に潜り「ふふふん」と笑っている。俺もベッドに横になり、横を向いて春香の顔を見下ろしながら眠りについた。
――――。
9時にセットしていた目覚まし時計が鳴った。
目を閉じたままで手探りで時計を止める。そっと目を開いて上半身を起こし、欠伸をする。
隣を見ると春香が枕にしがみついて眠っている。……うん。かわいい。
俺は朝の生理現象が収まるのをまってから春香を揺すって起こす。
春香は「う~ん」といいながら、まだ眠そうに上半身を起こして目をこすっている。長い髪の毛がぼさぼさになったまま俺の方を見て、「夏樹。おはよう」と言った。
髪の毛が爆発している春香を見るのは、もうこれで何度目になるだろうか。二人で洗面所に行くと、ちょうどキッチンから朝食を終えた父さんが出てきた。慌てて春香が、
「あ、おはようございます!」
と言うと、父さんも笑いながら「おはよう。春香ちゃん」と言った。俺も朝の挨拶を済ませ、二人してそそくさと洗面所に向かった。二人仲良く顔を洗って髪を整えていると、そばの廊下を父さんが奥の部屋に向かって通り過ぎていった。
トイレを済ませて俺の部屋に戻り、俺がタンスから自分の着替えを取り出していると、背後で春香が着替えを始めた。慌てて、
「お、おい!」
と言って、春香の方を向かないように固まっていると、「えいっ」という声がして後ろから春香が抱きついてきた。
「むふふん。どうだ!Dカップの感触は!うりうり~」
「ええい。やめんか!ってか、いつのまにDに……」
背中に柔らかい感触を感じたものの、慌てて体を揺すって拘束をふりほどこうとするが、かえって柔らかい感触がむにむにと伝わってくる。……ううっ。また元気になって来ちゃったじゃないか。
離れた春香は既に着替えを終えており、力なく崩れた俺を見ながら笑っている。首を斜めにして「どう?」ときいてきた。こいつめ!だがうれしい。
「いい。グッド!」
と言うと、にへへと笑って、
「最近Dになったんだよ。ちゃんとバストアップ体操してるからね。楽しみにしてて」
と春香がのたまった。立ち上がれない俺を見て、頬を染めて、
「……じゃあ、先にキッチンに行ってるね。ふふふ」
と笑いながら部屋を出て行った。
最近、春香はたまに唐突にこういういたずらをしてくる。……まあ、俺もうれしいはうれしいんだが……。まだそういう関係になるわけにはいかないんだよ?わかってるよな、春香?
――――。
キッチンに入ると、すでに春香がテーブルについて待っていた。
母さんは洗濯物を干しに行っており、父さんはリビングの方のテレビを見ている。
「おまたせ」
といいつつ春香の対面に座ると、春香が笑って、
「いいのいいの。……ね?」
とすべてわかってるぞと含みを持たせて言った。
朝食は目玉焼きにウインナー、そして、トーストだ。二人で食べていると、父さんが、
「春香ちゃん。最近、お父さんは忙しそうだね?」
と話しかける。春香はうなづいて、
「そうなんですよ。最近は土日も潰れるときもあって、別の日にお休みしたりしてるみたいで。今日も祝日だけど仕事に行っています」
「ふ~ん。それじゃあ、お母さんも大変だね。……何かあったらうちを頼っていいからね」
「はい。おじさん。ありがとうございます」
「帰ったら、お父さんに体に気をつけてって言っといて。落ち着いたら、一緒に飲みに行きましょうって」
「はい。わかりました」
春香の父さんは事務機器メーカーの課長だ。うちの父は食品メーカーの課長で経済状況はうちの方がいい。そういえば、春香の父さんが亡くなるのはあと何年後だったか……。
俺は春香に、
「健康診断とか人間ドックとか行ってるよね?」
ときいたが、春香はよく知らないみたいで「今度きいてみる」と言った。
俺は春香を救い、一緒に生きるためにタイムリープしてきた。だから春香は絶対に守るし、一緒になりたい。けれど、他の人の死を安易に回避しても大丈夫だろうか?気にはなるけれど、健康診断を勧めておくくらいは問題ないだろう。
まあ、あんまり春香を心配させてもあれだ、俺は明るく、
「仕事が落ち着いたらゆっくりできるさ」
と言うと、春香はうなづいて、
「そりゃお父さんといる時間が短くて寂しいけど、私には夏樹がいるから大丈夫だよ」
と言った。それを聞いて父さんが、
「ははは。……夏樹。頼られてるぞ。しっかりな」
と言う。俺は、ちょっと照れながら「もちろん」といった。
それから俺と春香は朝食の片付けをして、父さんに一声掛けてから再び二階の俺の部屋に行き、受験勉強のつづきを始めた。
――――。
午後3時になるころに、部屋のドアがノックされる。
「はいよ」
と声を掛けると、母さんがコーヒーの入った二つのカップとケーキを載せたお盆を持って入ってきた。
「お疲れ、ちょっと休憩にしたら?」
「はい。おばさん。ありがとうございます」
春香はそう言って、てきぱきと勉強道具を片付けて母さんからお盆を受け取った。テーブルにカップとケーキを置くと、なぜか母さんもそばに座る。
「せいが出るわね。勉強は順調なの?」
ときくので、俺は、
「ああ。今のところ、志望校は心配ないよ」
と言うと「それはよかったわ」という。春香も、
「夏樹に色々教えてもらって、私も大丈夫そうです」
と言う。母さんが笑いながら、
「ふふふ。夏樹も春香ちゃんと一緒にいられるからうれしいと思うわよ」
と言った。俺は、
「もちろん。うれしいさ」
と認めると、春香は少し赤らんで「私もだよ」と言った。
母さんはほほ笑ましそうに見て、
「春香ちゃん。夏樹をよろしくね」
と言って部屋から出て行った。
それから二人でコーヒーとケーキをいただきながらおしゃべりしていると、何となく気分が途切れて、その日の勉強は終わりにすることにした。
春香と二人で近くの公園まで散歩することにした。
途中の自販機で缶コーヒーを買って、公園のベンチに並んで座る。
もう季節は初冬になり、今月中旬には紅葉が見頃を迎えるだろう。この公園も寒くなってきたけれど、近所の子供たちが元気に遊び回っている。
俺は春香と缶コーヒーを飲みながら、その光景を眺める。春香が穏やかな声で、
「私たち、こうして年を取るのかな?」
と言った。「そうさ。ずっと一緒にね」と答えると、春香はうれしそうに笑った。
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