28.高校1年生 異変

01第一章 時を超えて

 春香の家族との海水浴も終わり、今日は春香の家で一緒に宿題をやっている。

 春香のおばさんは近所のスーパーにパートに出かけていて不在。おじさんも仕事に出かけている。

 ノートに英文を書き写しながら、春香が思い出したように、

 「なんだか最近、またお父さんが忙しいみたいでさ。食欲がないみたいなのよねぇ」

と言ってため息をついた。

 「ふうん。それは大変だな。……夏ばてかもよ?」

 「そうだといいんだけどね……」

 「そういえば、人間ドックとかいったのか?」

 確か受験勉強中にも体調が悪いって言っていたので検査を勧めておいたが……。俺がそうきくと、春香が首を横に振って、

 「ううん。……会社の検診だけでいいって言うのよねー」

 「そっか。でもさ、本当に夏ばてかもしれないし、ちょっと様子を見といたら?長く続くようなら、俺からもドック勧めるよ」

 俺がそういうと、春香は鉛筆を鼻の下に挟んで腕を組み、

 「……そうね。今はそれしかないよね?」

と言った。ちなみにしゃべった途端、鉛筆は下に落ちている。

 テーブルの下に落ちた鉛筆を拾おうとかがんだ時、

 プルルルル……。プルルルル……。

と電話が鳴り、びっくりして頭をテーブルの下にぶつけた。「いてっ」

 春香がぱたぱたとスリッパを鳴らしながら受話器を取り上げる。

 「もしもし?……あ、お父さん!うん。……えっ?」

 急にうわずった春香の声に、ノートに目を落としていた俺は思わず立ち上がって春香の方を見た。

 「……うん。うん。わかった。……うん」

 電話を終えた春香は受話器を戻し、くるっと振り返る。

 「お父さんが、どうしても胃が痛くなって今すぐに検診に行くって……」

 そう言う春香の表情はどこかこわばっていて心配そうだ。俺は春香のそばに行き、

 「きっと大丈夫だよ」と言って肩を抱き寄せたが、春香は「うん」と力なくつぶやいた。

 おじさんは、その日、思ったよりも早く帰ってきた。

 ひどく胃が痛むようでその顔色はすぐれない。挨拶をしたが、おじさんは早々に寝室に向かっていった。それを見ていたおばさんも春香も心配そうで、すぐにおばさんがおじさんの後を追って行く。

 おそらく検査はしたが、その結果は一週間くらい後にならないとはっきりわからないだろう。

 俺は春香を励ましながらも、その日は早めに失礼した。

――――。

 それから一週間、学校では明るく振る舞っている春香だが、俺の目からは無理をしているのがバレバレだ。

 注意深く春香を見守り、行きも帰りもずっとそばで過ごした。

 おじさんはあの日、一通りの検査をするとともに鎮痛薬を処方して貰っていて、それで痛みを抑えながら出勤している。俺の父さんと母さんも心配していて、春香のおばさんに「何かあったら言ってください」と伝えてある。

 今日は検査の結果が出る日で、おじさんは仕事を休んで病院に行っている。おばさんはパートを休んでおじさんに付き添って病院に行っており、春香は学校からそのまま俺の家に来ている。

 俺の部屋で一緒に復習と予習を行い、何とはなしに春香が本棚から引っ張り出したアルバムを二人して眺めた。なにしろ俺のアルバムには春香の写っている写真も多い。二人であの時はどうだったとか言いながら過ごしていると、俺の部屋のドアがノックされた。

 「春香ちゃん?おばさんがね、もううちに帰ってきたから、春香ちゃんも帰っておいでって」

 知らせてくれたのは母さんだった。母さんも平静を装っているようだが、春香は「うん。ありがとうございます」と言って玄関に向かった。俺は玄関の外まで出て春香が自宅に入るのを見送る。春香は家に入る前に俺の方を振り返ったので、軽く手を上げてやった。

 自分の家に入りそのままリビングに行くと、母さんがぼんやりとソファに座っていた。

 「母さん……。春香のお父さんの結果は聞いた?」

 俺がそうきくと、母さんは、

 「……胃がんだって。スキルスではないけどステージはⅡの後期と思われるって。より詳細な検査をした上での手術の提案があって、その場でお願いしたみたい」

 「胃がん……」

 俺の頭は空っぽになった。……そうか。春香のおじさんは胃がんで亡くなったのか。

 胃がんは初期症状がわかりにくく早期の発見が難しいガンだ。それでもステージⅡということは早かった方だろう。だけど安心はできないぞ。死亡率は低くはなかったはず。早めに見つかったと言えるなら、昨年から春香に人間ドックを勧めていたお陰だったらいいな。

 俺はそう思いながら母さんの対面のソファに座る。背中をぐっと後ろにもたれさせて何とはなしに天井を眺めた。

 おじさんもショックだろうし春香もおばさんもショックだろう。タイムリープ前では何も知らずにいたが、今の俺には何ができるだろうか。

 そう思案していると、突然、母さんが、

 「……黙ってそばにいてあげれば、それでいいのよ」

と言った。俺は苦笑いしながら「考えていることがわかった?」ときくと、小さく微笑みながら「母親だからね」と言う。

 つづいて母さんが、

 「おそらく検査とか手術の日とか決まると、おばさんが慌ただしくなるはずよ。あんたは、うちに春香ちゃんをつれてくるでも、向こうに行って向こうの家のことを手伝うでもいいけど、なるべくそばにいてあげなさい」

と言った。……まったく頼りになる母さんで良かった。俺はそう思いながら、

 「わかった。……母さん、ありがとう」と言って、ひとまず自分の部屋に戻った。

――――。

 次の日の朝は、いつもより早く準備をして、俺の方から春香を迎えに行った。

 玄関のドアホンを鳴らし、しばし待つ。いつもならドタドタと春香の足音が聞こえてくるところだが……。今日は中から「じゃあ行ってくるね」という声が聞こえ、春香が玄関から顔をのぞかせた。

 「おはよう!夏樹」

 「ああ。おはよう。行こうぜ」

 「うん」

 玄関から出て高校に向かうためバス停に向かう。道すがら、春香が、

 「……ありがとうね」と言って、俺の左手を握った。

 俺は春香の表情をうかがう。「じいーー」

 わざと声に出してのぞき込んでいると、春香は、

 「な、なにかな?っじゃなくて、夏樹さ、今日のお昼に少し時間ちょうだい」

とおずおずと言った。俺は、

 「わかった。といいたいところだけど、いつも一緒に弁当たべてるじゃんか」

 「う、うん。それでも時間ちょうだい」

 「わかってるさ。……おじさんのことだろ?」

と春香の耳元で小さい声で言うと、春香はこくんとうなづいた。

 ちょうどバス停が見えてきた。やってきたバスに乗り込むと、先に啓介と優子のカップルが並んで席に座っていた。

 「おはよう」

 乗り込んだ俺と春香を見て優子が明るく挨拶してきた。俺と春香も挨拶を返して、二人のそばの通路に並んで立つ。

 高校生になって啓介も身長が高くなり、優子もまた女性らしい体つきになってきている。長い髪がよく似合っていて、名前の通りやさしげな顔立ちで、ちょっとしたお嬢さんのようにみえる。

 入学して最初の一ヶ月ほどは一年生のどの学生も浮かれている空気で、その間に違う中学から来た数人の男子学生から告白をされたと噂で聞いた。もっとも啓介とずっと付き合っているから、当然のごとく悉く断っている。

 ちなみに春香を狙っている男子もいたようだが、トイレ以外、とにかくずっと一緒にいるから、すぐに俺と付き合っているのが知れた。それでも告白しようとした男子もいたようだが、そもそも告白できる隙もなく直ぐにそういう奴はいなくなった。

 啓介が俺を見て、

 「今日もご夫婦で登校か?」

と笑いながら言った。俺は、

 「おいおい。啓介。俺たちよりお前らの方が付き合い長いじゃんか」

と言うと、優子がクスクス笑いながら、

 「そうは言うけどねぇ」

と言い、意味ありげに春香を見上げた。「私たちはまだ一緒に泊まったりはしないわよ?」

 すると春香の顔がたちまちに赤くなる。俺はそれを見ながら、

 「……なんだか俺も恥ずかしくなってきたな」

と言う。優子が「まあまあ。……夏樹と春香は幼なじみだもんね」という。啓介が、

 「お、お前らもしかしてもうヤ「ってないって」……そ、そうか」

と朝のバスの車中で言いだしたので、慌ててさえぎった。春香も真っ赤になっている。優子が少し赤らんで、春香と何やらアイコンタクトを取っている。

 啓介が笑いながら、

 「それよりもよー。夏樹きいてくれよ」

 「お前なぁ。それよりもって……。ま、いいか。どうした?」

 「優子がこないだもコクられたんだよ。……俺たちだって一緒に登下校してるのに、わかんないもんかねぇ。何かいいアドバイスくれよ」

という啓介に、優子が笑いながら、

 「そんな心配することないわよ。でも私も教えて欲しいな。……ふる方も悩むから」

と言った。う~む。こいつらはクラスが啓介が四組と優子が六組で離れちゃってるからな。いつも一緒にいられるわけじゃないんだよな。

 そう考えていると、春香がぎゅっと俺の腕に抱きついて、

 「こうすればいいんじゃない?」

それを見て優子が「うん?」とちょっと怪訝な様子できいてくる。

 春香はにっこり笑って、

 「いっつも一緒にいて、いかにもラブラブって見せつければいいんだよ!」

と言った。それを見た啓介と優子は互いに顔を見合わせた。……春香の言うとおりなんだよな。こいつらまだ人前でイチャイチャするのが恥ずかしいみたいで、学校にいるときは友達同士のように見えるんだよな。

 徐々に顔を赤らめた優子が、ぐいっと啓介の肩に頭をもたせかかる。

 「これでいいかしら?」というと、啓介が「お、おう!」と返事した。

 ……なにこの初々しいカップル感は。お前らもうカップル四年目だよな。

 春香はにこにこしながら、

 「そうそう。休み時間とかもボディタッチして、お昼なんかも「あ~ん」てやればいいんだよ」

と二人に爆弾を投下した。優子がみるみる赤くなり、啓介が、

 「お、お前ら、学校でも「あ~ん」てやってるのか!?」

と驚いていった。いやいや。さすがに学校ではたまにしかやらないぞ?春香が下から俺の顔をのぞき込んで、

 「そうなんだよねぇ。家だったらやってくれるけど学校だとたま・・にしかやってくれないんだよねぇ」

とうらめしそうに言う。優子が「そ、そう。たまにはやってるんだ……」と言った。俺は慌てて、

 「たまにだぞ。いつもは恥ずかしいよ」

と言うと、啓介が「だよなー」と言った。

 そうやって啓介と優子の二人組と話をしながら、俺は春香の表情を見て、いつも通りに戻っていたので安心した。何も知らない二人にひそかに感謝する。

 途中途中のバス停で同じ高校の学生を乗せつつ、バスは朝の混雑の中を走り続けた。

――――。

 「じゃ、この授業はこれまで」

 そういって数学の初老の男の先生が教室から出て行くと、みんな肩の力を抜いた。

 すぐに隣の春香が机の上の教科書を片付けて立ち上がり、ぐいっと俺の方を向いて、

 「さ、なっく……、夏樹。ご飯たべよ!」

 俺も教科書を片づけながら、笑顔で、

 「いつまでその呼び名で呼ぶつもり?」

と言うと、春香がにひひと笑って、

 「じゃあ、ダーリンて呼ぶ?私のことはハニーでもいいよ?」と言ったので、おでこにチョップをしておいた。

 他の人たちもそれぞれグループを作って弁当を食べに行ったり、学食に向かったりしている。

 俺たちはそれぞれ弁当を持って教室を出る。今日ばかりは、周りに人がいないところでないと……。

 とりあえず靴を履いて外に出る。見つけたのは中庭のベンチだ。春香がベンチを見て、

 「ふ~ん。夏樹ったら、そんなに私が夏樹のものだってアピールしたいのね」

と言った。確かに、このベンチは学校のどの教室からも見下ろすことができる。たまに女の子同士できゃいきゃい言いながらご飯食べているのを見る程度で、男女のペアが座っているのは見たことがない。

 俺は春香の言葉に乗っかって、

 「そりゃあさ、春香を誰かに渡すつもりもないしね」

と言うと、春香が照れ笑いしながら「もー」と言ってベンチに座った。

 その隣に腰を下ろして、膝の上で弁当の包みを広げた。

 二人でしばらくお弁当を食べていると、春香が唐揚げを箸でつまんで、

 「はい。あ~ん」

と言った。今朝のバスでの会話を思い出して苦笑しながらも、ぱくりと加えると、春香はうれしそうに笑った。俺も、自分の弁当に入っている卵焼きを一切れ箸でつまんで、

 「ほれ。あ~ん」

と言うと、春香はちょっと恥ずかしそうに口を開けた。ひょいっとその中に卵焼きを入れてやると、ほっぺたに手を添えて「んー。おいし」と言った。

 それから春香はしばし無言になって、

 「もうおばさんから聞いた?うちのお父さんのこと」

と言うので、俺は周りに人がいないのを確認して春香だけに聞こえる声で、

 「ああ。……胃がんのステージⅡと聞いた。近いうちに手術するんだって?」

 春香は弁当をしまいながら、

 「うん。とりあえず二週間後に検査で、結果次第だけど、今のところ手術は来月二十日の予定」

 「なあ、春香。俺にできることがあったら言ってくれよ」

 「ありがとう。……でもそばにいてくれたら、それでいいかな」

 「そうか。……俺の前で無理しなくていいからな」

と俺が言うと、春香は顔をうつむかせて俺に寄りかかってきた。

 「うん。じゃあ、少しこのままいさせて」

 そっと春香の肩に手を回して、しばらくそのまま中庭のベンチで春香の気が済むまで寄り添った。

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