1.同窓会

01第一章 時を超えて

「ねえ、聞いた? 夏樹くん」

 俺がビールを飲んでいると、隣のテーブルから同級生の女性が話しかけてきた。
「春香が亡くなったって。……何か知らない?」
 久しぶりに聞いた名前に、俺はビールを持つ手がとまった。一人の少女の姿が脳裏に思い浮かぶ。
「すまん。知らないけど、春香が?」
 高校の同窓会の喧噪が遠くなっていく。目の前に座っていた親友がまじまじと俺の顔を見つめた。
「誰? 春香って?」
「俺の……、中学時代の同級生さ」

 隣の女性が俺の側にしゃがみ込むと、声を潜める。「本当に知らない? だって幼なじみだったでしょ?」
 俺も小さい声で返事をする。
「お袋からも聞いてないぜ。しつこいけれど本当に春香が亡くなったのか?」
 女性は俺を見て諦めたようにため息をついた。
「そう……。まあ、夏樹くんはずっと戻ってこなかったからなぁ」
 俺は女性の顔を見て続きを促す。
「本当らしいよ。……自殺だって話。葬儀すら誰も知らなくて。私もたまたま新聞で知ったんだ」
「そう……。教えてくれてありがとう」
「いいって」

 そういうと女性は俺の背中を軽く叩くと、自分の席へと戻っていった。

 目の前の親友が話しかける。「そういえばお前、あいつと中学から一緒だっけ?」
俺はうなずいた。「そうさ。あいつはそのまま地元に残ったからなぁ」
「ふ~ん。……俺が言うのもなんだけどさ。あんまり落ち込むなよ」
「ああ。ありがとう。……今日は駅からまっすぐここに来たけど。家に帰ってからお袋に聞いてみるよ」
 俺の手のカラになったグラスに親友がビールをついだ。空のグラスに黄金色の液体が注がれていく。それを見ながら、俺は今は既に薄れてしまった記憶を呼び起こそうとしていた。

 高校を卒業してから3年。大学のために東京に引っ越しして、世間的には成人式も迎えたが、俺はいまだに実家に一度も戻らなかった。
 俺の実家のはす向かいにあったのが春香の家だ。幼稚園から小学校、中学校とずっと一緒で幼なじみで、親子ぐるみで付き合いをしていた。通学路も一緒だったからいつも一緒に学校に行っていた。けれど、俺は寮に入りながら隣の市にある私立の高校に通ったので、実家にも戻ることが少なくなっていった。確か春香は地元の公立高校に行ったはずだ。
 しばらくは手紙のやり取りがあったけど字を書くのが苦手だったせいもあって、返事を出さないとと思いつつ……。年賀状は来ていたけど、ここ2年はそれもなかった。
 綺麗な黒い髪を伸ばしていて男子からは人気があったけど、不思議と誰とも付き合うことはなかった。俺も好きだったけど、二人の関係が壊れるのが怖いし意気地が無かったから告白はできなかった。
 最後に見たのは、俺が出発する駅に見送りに来てくれたときだ。あの時のホームでの「約束。絶対だよ」っていう言葉が耳によみがえる。

 駅前の居酒屋でやっていた同窓会が終わり、二次会に行く人と帰る人に分かれて三々五々に散らばっていく。みんな成人したとはいえ、こうして集まると高校生気分のままだ。

 俺はみんなに「またな」と言って別れた後、一人で駅舎を見上げた。なんとなく懐かしげな、それでいてもの寂しい気持ちになる。タクシー乗り場に並んだ。
 家に帰った頃にはすでに十一時近い時間だったが、母さんが起きて俺の帰りを待っていてくれた。父さんはゴールデンウィーク中も関係なく仕事があるようで、明日も早いから先に寝たそうだ。

「お帰り。疲れたでしょ? お風呂の準備してくるから、先に自分の部屋に行ってたら?」
「ありがとう。そうする」

 ずっと自宅には戻っていなかったのに、俺の部屋は取ってあるという。何年ぶりだろう。自分の部屋の扉を前にして不思議な気持ちになる。ノブを回して中に入ると部屋はかつてのまま時間が止まったようだった。
 本棚には当時読んでいた漫画本が並んでいる。部屋の中はたまに掃除をしてくれていたようで、ほこりっぽくもないしカビも大丈夫そうだ。中学生の頃はよく部屋の掃除をしろと怒られたっけ。
 東京から持ってきた旅行バッグを床に下ろして着替えを取り出す。同窓会を良い機会だとようやく帰ってきたわけだが、ちょうどゴールデンウィークなので2、3日はゆっくりする予定だ。特に何するわけでも無いので、だらだらさせて貰おう。

 階段を上ってくる音がしてノックする音が聞こえた。「お風呂入ったよ」
 そう言いながら部屋に入ってきた母さんが、目を細めて俺を見ている。

「なんだか懐かしいねぇ。……いない間、掃除だけはしていたけど、懐かしいでしょ?」
 しみじみとした母さんの声に、なんだか照れくさくなった。
「あはは。まさかあの時のままになっているとは思わなかったよ」
「何となく片付けられなくてねぇ。ま、これからはたまには帰ってきなさい」
「……なるべくそうするよ」

 頭をかきながらそういった俺を、母さんが妙ににこにこして見つめた。

「ほら。それはそうと早く入んな。……さきに寝てるから、上がったら栓を抜いといてよ」
「オーケー。……お休み」
「お休み」
 そういうと母さんは部屋から出て、階段を降りていった。

 俺も着替えを持って階段を降り、トイレの隣の脱衣所の扉を開けた。脱いだ衣類を、昔そうしていたように無造作に洗濯機の中に入れる。あ、いや、昔と違ってきちんと表にしてからだけど。
 風呂場に入り真っ先に湯船につかる。あふれたお湯がザザーっと洗い場に流れていく。湯気が立ち上った。
 浴槽の縁に頭を乗せて足を伸ばす。深さはそれほどないけれどゆったりと一人ではいるには快適だ。

 何とはなしにベージュ色の天井を見上げた。今日の同窓会のことが思い出されて、自然と笑いがこみ上げてくる。

 みんな卒業して3年経って垢抜けたような、垢抜けていないような、大人になりきれない子どものような感じだったな。まあ、俺も人のことは言えないが。

 そのとき、脳裏に一人の女子生徒の姿が浮かんだ。中学生の頃のままの春香。
 そういえば小学校低学年まで泊まりっことかして、この風呂にも一緒に入ったことがあるんだよな。プールとかいいながら水を張ったお風呂に潜ったりしたことが懐かしい。

 ため息を一つして浴槽から出てスポンジを泡立てる。ごしごしと洗いながら鏡の中の自分の顔を見つめた。
 中学生の頃は何でもできるような気がしていたけれど、結局は高校で壁にぶつかり大学生の今はすでに夢を語るような心境じゃない。就職活動に入って、少しでも条件の良さそうなところに入社できれば……。そんな打算的な考えがどうしても浮かんでしまう。

 泡をシャワーで洗い流し、再び湯船に体を沈める。

 それにしても春香が自殺だと? 一体、何があったんだろう。かつてのように感情が高ぶるわけではないが、今でも好きだ。仲の良かった女の子。死んだ自殺したと聞いて、心が穏やかじゃない。
 もしも一緒の高校に行って一緒の大学に行けてたら、俺は彼女に告白できていただろうか? 春香は自殺せずにいただろうか? もしも、もしもという言葉ばかりが追いかけてくるようで、それを振り切るように頭を横に振った。

「ああ……、そういえば母さんに聞くのを忘れていたな」

 明日、忘れずに聞こう。そう思って、俺は風呂から上がった。

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