3.裏山のお寺

01第一章 時を超えて

 久しぶりに歩いた地元はなんだか映画の中の景色のように見えた。ああ、ここにこんなのあったな。あっちはどうだっけ?
 かつての思い出を宝探しするように、あちらこちらに視線をめぐらしつつ、ぶらぶらと歩いて行く。そばを自転車に乗った小学生の男の子たちが通り過ぎていった。
 昔ながらの和菓子屋さんの前を通りかかったとき、
「あ、そういえば何かお土産持って行こうか?」
 なんとなくしわだらけの顔をニカッとさせる年配のお坊さんの顔が浮かんだ。そうだな。そうしようか。
 さっそく和菓子屋さんの中に入ってショーケースをのぞく。

 う~ん。時期的には柏餅なんていいだろうけど、子どもたちが遊びに来てないと勿体ないか。とすると少し日持ちがするものがいいだろうか? これから暑くなっていくし……。
 ショーケースを順番に眺めていくと、ふと水ようかんが目に入った。あ、これがいいかも。

「あら? いらっしゃい。……若いお客さんなんて珍しいわね」
 不意に声を掛けられて顔を上げると、おばちゃんが奥から出てきていた。
「あ、ども」
 おばちゃんが俺の顔を繁々と見つめる。何かを思い出そうとしているようだ。手をパンと打つと、
「もしかして、夏樹くん?うちの宏と同級生だった」
「はい。そうです。お久しぶりです」
「ほんと久しぶりね。宏の中学校卒業以来かしら? 大きくなって……。今日は連休だから帰省?」
「あ~、まあ、そんな感じです」
 俺は頭をかきながら水ようかんの詰め合わせをお願いした。
「はいよ。のしはつける?」
「あ、お願いします。……ほら、久しぶりにお寺さんに行こうかと思って」
「ああ。昔はよく遊びに行ってたわねぇ。まだまだお元気だから、きっと喜ぶわよ。……はいこれ」
「ありがとうございます。宏は元気ですか?」
「大学行ったっきりよ。偶には帰ってくればいいのにね」
「あはは。僕も似たようなもんですから……。じゃ、これで」
「男の子ってみんな同じなのかしらねぇ。ありがとうね」

 なんだか照れ恥ずかしい気持ちを抱きながら、お店から出るとまだ連休だというのにまばゆい太陽に目がくらむ。
 ふぅ。大きく息を吐いて再び歩き出す。近くに小学校があるせいか、遊びに行く子ども達とすれ違う。それを横目に見ながらしばらく歩くと、お寺に続く石段が見えてきた。
 階段を上ると、少し汗ばんだ肌に通り過ぎていく風が心地よい。正面には昔と変わらないお堂と庫裏の玄関が見えた。お堂の前は広くなっていて、大きな木がそびえている。
 お堂の方の入り口から中にお邪魔することにした。木でできた下駄箱に下足を入れてお堂の階段を上る。入り口の障子を開けて中に入り、外陣の中央に進んで一度座る。

 静けさに包まれてご宝前を見る。
 子どもの頃、お堂まで入るのは特別なときだけで、そういうときはお爺ちゃんのお坊さんがおもしろい話をしてくれて、そのあとお菓子とかアイスとかもらった。確かみんなお爺ちゃんお坊さんって呼んでたな。
 最近、新しく替えたのだろうか、畳の匂いがする。確か、ここの仏様は御釈迦様だけど、なんでもその脇の帝釈天に御利益があるとかだった。

 その時、庫裏につながる扉が開き、年配のお坊さんが入ってきた。
「おや? こんな時間に若い方のお参りとは珍しい。よういらした」
 慌てて俺は頭を下げる。
「お久しぶりです。あの……これ、お供えください」
 お爺ちゃんお坊さんは、ニカッと笑う。「これはこれは。どうも」
 続いて俺の顔をじっと見つめる。
「あ、え~と夏樹です。昔よく遊ばせてもらった」
「ああ。そういえば面影がある。大きくなったもんじゃなぁ」
 まぶしそうな表情で俺を見つめるお爺ちゃんお坊さんだった。

「ああ、そういえば君はあの子とよく一緒に遊んでおったの」

 その言葉にドキンとした。きっと春香のことだ。
 しかし、俺たち以外にもたくさんの子ども達が遊びに来ていたのに、よく覚えているもんだ。

「ふむ。あの子も可哀想じゃったの。お墓参りにきたのじゃろ? 案内するぞ」
 えっ。お墓がここに? 驚きながらも、
「え、ええ。まあ、そうです」
 ついておいでと言われ、お爺ちゃんお坊さんはお堂の玄関から外に出て行った。どうやらお堂の裏の墓地に行くようだ。

 前を行くお爺ちゃんお坊さんが背中越しに話しかけてくる。

「あの子は親戚もおらんでのう。本来ならば無縁仏に入れねばならないんだが、幸いにお父さんとお母さんのお墓があるからそっちに一緒にしてある。……ま、そちらのお墓も後の人がいないからちょっと問題もあるんじゃがの」
「はあ。そうですか。……ご両親も亡くなっていたんですか?」
「おや知らなかったのかい。確かお父さんが五年くらい前で、その一年後にお母さんだったかの」

 ということは高校生の時に連続でか。お袋も知らせてくれればいいのに。そんな事を考えているとお墓についた。

 お爺ちゃんお坊さんがお墓の前で合唱し、場所を空けてくれた。俺は進み出るとしゃがんで手を合わせる。春香……。しばらくそのまま瞑想し、再び頭を下げてから立ち上がる。俺はお爺ちゃんお坊さんに深々と一礼した。

「ありがとうございました」
「いいんじゃよ。この子も喜んでおるじゃろ。……それはそうと、ちょっと時間があるかな?」
「ええ。大丈夫ですよ」
「ふむ。それならちょっといいかの」

 そういってお爺ちゃんお坊さんは再び歩き出した。迷路のような墓地の通路を歩いて行く。

 ……あ、こっちはもしかして。

 お爺ちゃんお坊さんの目的地がなんとなくわかった。こっちには確か……桜の木があるはず。予想通りお爺ちゃんお坊さんは桜の木まで来ると、そこにあるベンチに座り隣に座れと言う。
 ここは高台になっているお寺の中でも町を見渡せる展望のいいところだ。シンボルのように大きな桜の木があたかも町全体を見守るようにそびえている。
 お爺ちゃんお坊さんと一緒に少しの間、無言で景色を眺める。

「あの子はの。ここで亡くなっておったんだ。この桜の木の下で睡眠薬を飲んでおってな」

 ぽつりとつぶやくようにお祖父ちゃんお坊さんがそう言った。その横顔を見つめると、視線を下に落としている。急にお爺ちゃんお坊さんの体が縮んだように見えた。

「えっ。ここでですか?」
「そうだ。わしが発見したんじゃ……」

 そう言って再び無言の時間が続いた。

「君のように大きくなって来てくれるのは、わしらにとって本当にうれしい。だけど、あの子のように若くして亡くなるのはやりきれない。……君は何か知ってはおらんか? よくあの子と遊んどったろ」
 胸がチクチクと痛んだ。
「実は高校から寮に入ったから何があったのか知らないんです。そうですか。ここで春香が……」
「そうか。それは仕方ない。……まあ親御さんが両方亡くなって一人になってしまって、いろいろ辛い目にあったのだろう」
 そこまでいうとお爺ちゃんお坊さんは俺の顔を見て何かを言いよどんでいる。俺はじっと待った。

「君に言うべきかどうか迷ってるが言っておこう。あの子はの、昔ここで遊びでつくったおもちゃの指輪を大切に持っておったんじゃよ」

 ――おもちゃの指輪。それって。

「きっと一番よかった頃の夢の中で亡くなったんだろう。幸せそうに眠っているような顔をしとった」

――俺の作った奴か?

「ん? どうした?」
「い、いえ。そうですか。幸せそうな顔でしたか……」
「きっと今頃はお父さんとお母さんと一緒にいると思うと少しは慰められるよ」

――あれって確か、小学校4年生くらいの地蔵盆だったよな。低学年の子と一緒に作った奴だ。

 気がつくと、お爺ちゃんお坊さんが俺の顔をのぞき込んでいた。

「あ、ああ。ええっと……」

「なあ、夏樹くん。君は生きているんじゃぞ。故人を悲しく思う気持ちはわかる。だがのそれならば回向しなさい。そして、故人の分も君は幸せならんといかん」

 真剣な顔で俺に話しかけてくる。その目の奥に心配そうな感情が浮かんでいる。

「はい。そうですよね。春香の分も幸せにならないと」
「そうじゃ。忘れるなとはいわんが君がそれに執われてはいかん。君には待ってくれているご家族がおるし、わしらも悲しむ」

 俺はお爺ちゃんお坊さんの目を真っ直ぐに見てうなづいた。

「もう大丈夫です。……ありがとうございました」

 そういって立ち上がり、青々とした葉っぱを茂らせている桜の木を見上げた。お爺ちゃんお坊さんも立ち上がり、一緒に桜を見上げる。

「葉っぱが落ちて枝だけになっても、そこからつぼみが出て美しい花を咲かせる。……また来なさい。なんでも相談にのるからの」

 そういってお爺ちゃんお坊さんは庫裏に戻っていった。俺は、頭を下げてその後ろ姿を見送った。

 俺は再び桜の木を見上げた。

 ザザアァッ。

 その時、一陣の風が枝をならしながら通り過ぎていった。

――もし私がどこか遠いところに行っちゃったら……、探してね。

 幼い春香の声が聞こえた気がした。

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