光の回廊を行く。ただただ光に包まれて、足元もよく見えないまま歩いていく。やがて上下左右の感覚があやふやになってきた。それでも俺は足を前に動かし続ける。この先に行けば、春香に再会できる。あの哀しみを止めたい。その思いで歩き続けた。
――回廊の奥から、更にまぶしい光がこちらに向かって飛んできた。俺は意識を失った。
「お~い!起きなさい!」
急に母さんの声が聞こえた。
まぶたを開けると、そこは俺の部屋のベッドの中だった。母さんが、どんどんと扉を叩いている。「早く起きなさい!」
え? なんだ? え? え? 混乱しながらも、俺は上半身を起こして慌てて返事をする。「おはよう。母さん。もう起きた!」
「さっさと着替えてご飯食べなさい!」
母さんは扉の向こうでそう言い捨てると階段を降りていった。
……実家? いや、なんかちょっと違うような。
部屋を見回し、そして自分の体を見つめると、目に入ってきたのは子供の手だった。俺は自分の顔を触る。
ひげが生える前のすべすべした肌。のど仏が出ていなくて高い声。ベッドの隣の机の上には黒いランドセルが置いてあった。
「ま、まさか。小学生まで戻ったのか?」
違和感の正体はこれか? だが、まさか……。
ベッドから降りて鏡をのぞき込むと、そこには少年の姿があった。
「何てこった……」
慌ててデスクに張ってある時間表を確認すると、そこに見えたのは「4年生時間割」の文字。……天帝釈様。戻りすぎです。小学校4年生からやり直すことになるとは。
「と、すぐに着替えて下に行かないと」
こんなことをしている場合じゃなかった。俺はタンスの引き出しを開けて着替えを取り出そうとする。
「うっ」
そこにはヒーローのTシャツとか半ズボンだ。靴下までキャラクターが描かれている。
「まじか……。今さらこれを着ろと」
愕然としてしまったが、急がないと母さんにどやされる。俺は引き出しからあんまり目立たなさそうなTシャツと長ズボンを取りだして着替えた。
急いでランドセルを持って部屋を出てキッチンに向かう。
「おそーい! 何やってたの! ……ほら。急いで。迎えにきちゃうよ」
キッチンに入った俺を出迎えたのは、壁の時計を見ながらイライラしている母さんだった。
「ごめん。おはよう」「いいから。急いで!」「は~い。……いただきます」
俺はランドセルをソファに置くと、席についてトーストにバターを塗りかじりついた。母さんがグラスに牛乳を注いで、俺の目の前に置いた。「ほらほら。来ちゃうよ。春香ちゃんが」
その言葉が終わらないうちに、ピンポーンとドアホンが鳴った。
「はいは~い」
母さんが急いで玄関に向かった。玄関の方から元気な女の子の声が聞こえる。「おはようございます。なっくんは?」
「ごめんね~。まだ朝ご飯食べてるの。上がって待ってる?」「う~ん……。そうする」
がたがたと音がして、ちっこい女の子がやってきた。「なっくん。おはよう!」
「ああ。おはよう。は、春香ちゃん」
俺は急いでパンをそしゃくしながら挨拶をした。口の中のパンを牛乳で流し込む。食べ終わって、手についたパンくずを落とす。女の子はあれっと首をかしげた。「――ちゃん?」
あ、そうだった。この頃、呼び捨てで呼んでたっけ。知らんぷり、知らんぷり。
女の子は俺のそばに立っていて、俺が食べている様子をニコニコしながら見ている。
「ごちそうさま~。……春香。おまたせ」「うん。大丈夫」
俺は女の子に玄関に先に行っているようにお願いして、急いで洗面台に行って歯磨きをする。
……早くこの状況になれないと。
そんなことを考えながら、口をすすいで洗面所を飛びだした。
「いってきま~す!」
春香と一緒に道路に出て驚いた。町が大きく広く見える。そうだ。昔はこんなに広く見えたんだった。そのまま春香と一緒に小学校に向かう。
高校生の女子生徒が自転車で通り過ぎていく。十字路にさしかかると、ランドセルを背負った男の子がやってきた。
「おはよう!……今日もやけるねぇ」
男の子の言葉に春香が赤くなった。……えっと、こいつは誰だっけ?
「う、うるさいよぅ。啓介君ったら。近所なんだからしょうがないでしょ」
あ、そうか。啓介だ。……うっわぁ~。あいつ小さい頃、こんなんだっけ?
なんだか不思議な気分だ。脳裏に小さい頃のみんなの姿が浮かび上がる。思い出そうとしていたが、ぼうっとしているように見えたようだ。気がつくと、啓介も春香も俺を見ていた。
「おい。夏樹、大丈夫か?」「なっくん。どうしたの?」
俺は苦笑いをした。「あ、ごめんごめん。ちょっと考えごとをしていて」
「そうか? まあいいや。……行こうぜ」
三人になった俺たちは小学校へと向かう。懐かしい玄関で靴を履きかえて、明るい廊下を歩いて行く。少し緊張しながら教室に入った。春香は少し離れた席だ。
にぎやかな小学校の朝。かつての同級生の小学生の姿を見つめながら、時間になるのを待った。やがて若い頃の先生が入ってきて、朝礼。そして最初の授業がはじまる。
ええ。特に授業は書くことはありませんよ? むしろ退屈でストレスになりそう。
放課後になるとすぐに春香がやってきた。
「なっくん。かえろ」
それを周りの男子と女子がニヤニヤして見ている。……そうだった。この頃、春香はずっと俺にべったりだったような記憶がある。
「いいなぁ。夏樹はモテモテじゃん」
左の席の男子、――名前は省略、がからかう。おいおい、いくら春香とはいえ、こんな年頃の子に好かれてもね。
「ははは。じゃ、また明日な」
日本人らしく、微妙な笑いで返すが相手は気にしていないようだ。そのまま玄関を出て、春香と一緒に下校した。
俺の家から見て、春香の家ははす向かいにある。……だが、確か高校になって父親が亡くなった後は、もっと離れたところに引っ越したらしかった。
「ねぇ。なっくん」
もうすぐ家だというところで春香が話しかけてきた。「うん? どうした?」
春香を見ると何だか言いずらそうにしている。
「あのね。今日さ。遊びにこない? ……一緒にゲームやろうよ」
俺はちょっと考えた。この頃、まだ俺は習い事をしていなかったはず。大丈夫かな。
「いいけど。母さんに聞いてからでいい?」
「うん。もし駄目だったら、そっち遊びに行ってもいい?」
「へ? どうしたの?」
思わず聞き返した。いや普通、駄目だったらどっち行っても駄目でしょ。
「今日さ、お母さんもパートで遅くって誰もいないの」
「ああ、そう……」
そういえば春香の家は共働きだっけ。うちは父さんが中堅の会社の役職を持っているので、母さんは専業主婦でもやっていけたけれど、生きがいがないっていって短い時間だけパートに出ていた。
昔はそんな理由もあってか、よくお互いの家に遊びに行ったり泊まりっこもしてたなぁ。なんだか遠い日の記憶を見ているようだ。
「うん。いいよ。春香」
そういうと春香はうれしそうに笑った。
幸いにその日は母さんが自宅にいる日だった。聞くと、「じゃあうちに呼んだら、あちらさん帰り遅いでしょ。春香ちゃんの夕飯も用意しておくから」と軽い調子で答えた。
それから春香と一緒に春香の家に行き、必要な道具、宿題など、を持って俺の家に戻ってきた。
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